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2011年08月27日

8月13日レポート

文責:小玉直也
バタバタと2日分みんなからのメールの誤字脱字をチェックしながらアップできました。
この13日に学生のみんなと合流し、今回の事故の反省と教訓を語り聞き取りしました。
私自身、福島支援をしている中、16人の学生を石巻市で受け入れボランティア活動をする点で困難な面や今回は受け入れない方が良かったのかなど、複雑な思いが巡りますが、今後の教訓として行かして行きたいと思います。
なにわともあれ、他のNPOで先月は死亡事故1件入院を伴う重傷事故十数件の報告を聞いていたので、今後とも注意しながら不測の事態に対応できるよう、なおいっそう努力して行きますので宜しくお願いします。

この日、石巻市で帰宮する学生を見送り、南三陸町に向かい歌津中卒業式に出席しました。
歌中の先生や被災者や住民の方々が口々にチーム宮崎は活躍したという話を聞き、プレッシャーから胸を撫で下ろしました。
式が始まり、多くのボランティアの方が2階の観客席から式を見守る中、宮崎のメンバーをはじめ数名のボランティアは来賓席に座り式辞中に一人ひとり紹介され、私もみんなのがんばりを想像することしかできないですが、涙があふれ止まりませんでした。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。


めぐみ8/13
3月12日に行われるはずだった卒業式。
今日、8月13日に、155日遅れで行われました。
卒業式とは総じて印象的なものですが、私にとって、今日ほど印象的な卒業式はありません。

卒業生は高校生。
各々の高校の制服を着ているため、統一感はありません。
震災後、練習時間がほとんど取れなかったためか、合唱は声が響きません。
卒業証書授与の際、動きが分からずに困惑している人もいました。
最も印象的だったのは、式の途中、泣いている卒業生がいなかったことです。
皆、誇らしげに卒業証書を掲げ、ニコニコと嬉しそうでした。

夏真っ盛りの卒業式。
みんな夏服です。
扇風機の前には、大きな氷が置かれていました。
セミの声が響く中での卒業証書授与は、今思い出しても胸がいっぱいになります。

こんなにも意義深い、大切な時間を共有させていただいたことに、心から感謝いたします。


宮崎公立大2年 安部幸紀
今日の卒業式は、自分の卒業式よりも忘れられない卒業式になりました。作業をしながらだったので、ゆっくりは見られませんでしたが、感動的な卒業式でした。卒業生の笑顔は本当に輝いていて、とても嬉しそうだったのが印象的でした。校長先生のお話、送辞、答辞、どれも本当に素晴らしかったです。この卒業式をお手伝いできたことが、本当誇らしいことだと思いました。


上村かすみ8/13
昨日は午前お寺の掃除と午後から被害にあった家の草むしりをしました。
最後の活動でしたがチームで協力して活動することができました。この活動を通して港小学校の方々やチーム神戸の方々にはとてもお世話になりました。ボランティアとして大切なことの多くをチーム神戸の方々からたくさん学びました。この活動に参加して様々な人と関わることができて本当によかったです。周りの方々に感謝しています。
今日が港小学校を離れる日でした。様々な方々にお世話になった港小学校でもっと活動したかったと思うぐらいあっという間でした。リーダーと合流して話しあいもしました。大きなハプニングがありどうすべきかということでした。これからは連絡ができることが大切だと思いました。しかしNPOや小玉さんの力のおかげで活動ができたので感謝しています。被災地で実際にみたものは言葉では表すことができません。しかし宮崎に帰ってからもできることを探し、
また美しい石巻が見たいです。ボランティアに携わったからには美しいもとの姿にもどるまでできる限りのことをします。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 05:53Comments(2)

2011年08月27日

8月12日レポート

文責:小玉直也
昨晩もパソコンの前で寝てしまい、早朝5時に起床。今日はネットがつながるので急ぎ過去の学生レポートをアップします。



めぐみ
明日は5ヶ月遅れの歌津中学校卒業式です。
校舎内の階段や廊下、体育館を掃除しました。
段ボール箱だらけだった職員玄関も、見映えが良くなりました。

校舎内外には、たくさんの段ボール箱が積み上げられています。
段ボール箱の山は、なくなったと思ったら新たに現れ、なかなか減りません。
階段の踊り場にはウェットティッシュの山、
廊下には水の山、
体育館の外には安眠セットなるものの山、
とにかく、あちこち段ボール箱だらけです。

4月に歌津中学校に来て、1週間ひたすら物資の仕分けをしていたというボランティアの人の話を聞きました。
おにぎりなど賞味期限が早いものは、到着した時には賞味期限ギリギリ、既に期限が切れている場合もあったそうです。
(物流が完全に回復していなかったことも一因。)
ちょうど良い量が届く、ということはめったになく、大抵は足りないか余るかのどちらか。
(人口1万2千人の町に毛布2万枚、ということもあったそうです。)
また、「欲しい。」と言った1週間後に届き始め、「もう充分。」と言った1週間後に止まることも。

しかし、それらは全て善意であり、支援物資を送るというのは思った以上に難しいんだなと思いました。
宮崎から届いた水が大量に積み上げられているのを見た時は、嬉しい反面、なんとも言えない複雑な気持ちになりました。
水道が通っていなかった時は重宝されていたと思います。
必要な物を、必要な時に。
単純で当たり前だけど、難しいことです。


8/12宮崎公立大2年 安部幸紀
今日は本格的に明日の卒業式に向けて準備を開始しました。今まで手が回らなかった場所の掃除を主に行いました。明日歌津中の生徒が準備をするようですが、その負担が少しでも軽くなればいいと思いました。明日は是非式に出席してくださいと言われて嬉しかったです。


上井優花
今日はお寺の草抜きと拭き掃除、庭の草抜きを行いました。ボランティアを始めてから6日間、暑い日が続くなか宮城が1日でも早く復興するために頑張ってきました。途中ハプニングや上手くいかない事もありましたが、私たちがしてきた事は役に立ったのではないかと思います。ボランティアは終わりますが、宮崎に帰ったら被災地の現状をたくさんの人に伝えていきたいです!短い期間のボランティアではありましたが、少しでも被災者の方々のためになったのなら嬉しいです!これからも何らかの形で復興の手伝いが出来ればいいなと思います!


宮崎公立大学1年 坂東春奈(19)
8月12日、今日は昨日の続きで慈恩院の清掃をしました。慈恩院でも盆の供養があるので、畳や窓を拭きました。その後は墓地の草を抜きました。午後からはあるお宅の畑を掃除しました。津波で何もかも流されていましたが、途中トマトのなった苗を見つけて作業している場所が畑だと気づきました。畑からは人形などが出てきました。家の人も我々ボランティアにお茶など出していただき、良い人ばかりですごく素晴らしくいい町だと感じます。今日の終わりに、金田さんから聞いた話がとても印象に残ったし、すごく有り難かったです。今までいくつかボランティアをしてきましたが、私たちが日常に戻ることに対してあれほど安心させてもらったことは、ありません。本当に、ボランティアに来て良かったです。


公立大1年樗木真理 8/12
今日はボランティア最終日でした。お寺と湊小学校近くのお宅の草取りをしました。全員で作業を終えることができたのでよかったです。
この1週間、様々なことがありましたが、このボランティアに参加して本当によかったと思いました。メディアを通してだけでは絶対に伝わらないことを感じとることができたとおもいます。これを回りの人たちに伝えていきたいと思います。


8/12宮崎公立大学2年猪野宏樹
今回で全ボランティア作業が終了しました!今回のボランティアを通して色々なことを学びました!今までの自分の考えも変わったし、これからの自分の生き方も見つけれた気がします!私たちに関わってくれた人みんながいい人でとても感動しました!自分も人に感謝される喜び、お金じゃ買えない何かを得たような気がします!宮崎に帰ってもこの精神を忘れずにしたいです!


宮崎公立大学2年脇田真澄です
今日は午前中、お寺の草ぬきなど仕上げをして、午後からは個人宅の草抜きをしました。活動最終日ということもあって、気合いを入れて取り掛かりました。金田さんをはじめ、チーム神戸の方々にはほんとうにお世話になりました。住民の方々のお話も聞けて良かったです。帰るまで気を抜かず、何事も問題なく帰りたいです。


宮崎公立大学一年 大西成美
今日は慈恩院のお墓周辺と民家の庭の草むしりを行いました。連日の疲れが今になって出てきて、午前中は作業が辛かったです。でも、お墓に来た方々にお疲れさまです、ありがとうございます、と言われて励まされました。午後も家の奥さんになにかとお世話になり、尚更作業を頑張ることができました。これからも石巻での作業は山ほどあると思うともう一度来たいと思いました。そして、徐々に立ち直っていく石巻をみたいと思いました。また機会があれば是非来たいです。


宮崎公立大学1年  伊藤実穂
今日は、午前中は昨日と同じ慈恩院でお墓周りのくさぬきをして、午後は違う方の畑の雑草取りをしました。 朝方や作業中、余震があって怖かったけど、依頼人の方がアイスやジュースの差し入れをたくさんして下さって、とてもうれしかったです。
明日は、朝に湊小学校をでて仙台を観光する予定なので、宮城をじっくり楽しみたいです。


宮崎公立大2年 松尾淳平
今日は、ボランティア活動の最終日だった。
慈恩院さんの草むしりと地域の家の庭の草むしりであった。
誰も体調不良をうったえるものがいなく、無事に活動できてよかった。
湊小学校の皆さんや、チーム神戸の皆さんのおかげだと思います。
明日は、宮崎に向けて気をつけて帰りたいです。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 05:31Comments(0)

2011年08月24日

8月11日学生サマーボランティアレポート

文責:小玉直也
昨晩、久しぶりにネット環境ができたので、ブログをアップしようと、この文章をメールチェックしながら誤字脱字を訂正していた。
しかし、そのままパソコンの前に寝てしまい…
6時に起床しなんとかアップできました
1時間後には福島から石巻市へ向かい
石巻市役所防災対策課、湊小学校避難所本部長の庄司さん、医師の奥先生、専修大石巻市ボランティアセンター、などの話を聞いたり打合せをしたあと夕方には仙台入りしてその他の予定をこなして、今晩は仙台市のネットカフェ泊予定です。
以下学生からメールで届いたレポートです!


追伸:Abe Yuki
8/11
今日は卒業式のために校舎の掃除をしました。けっこうな汚れで、今まで掃除にまでは手が回らなかったのだということを、他のボランティアさんとお話をしました。その後、歌津中の避難所としての機能が解除されるということで、お別れ会をするのでその準備のお手伝いをしました。お別れ会で歌津の区長さんのお話を聞くと、この5ヶ月が本当に長かったと仰っていました。来週はどんな日とが来てくれるのか、それが楽しみで嬉しくて過ごしてこられたと仰っていて、ここで様々なことがあって、それを精一杯過ごしてこられた方々にとっては物凄く長い5ヶ月だったのだと思いました。


めぐみ
歌津中学校には、一時は200人ほどが避難していましたが、ついに今日、最後の人が仮設に引っ越すということで、お別れ会が開かれました。
既に仮設に移動していた人たちやボランティアも含めて、50人ほどが集まりました。

お別れ会の終盤、サイジョウさんという方とお話する機会がありました。
サイジョウさんは鉄工業の会社を営んでいましたが、会社は津波で流されました。
更に、「仏を2つ見送った。」と仰っていました。

サイジョウさんの言葉で、いくつか忘れられないものがあったので、紹介します。

「あなたは女医さんになるんか。
頑張れ。
俺も頑張るから。
3.11なんか乗り越えてみせるから。」

「色んな人に助けてもらった。
恩返しがしたい。
何がイイか考えたけど、やっぱり復興するのが一番の恩返しだな。」

先に紹介した、「仏を2つ見送った。」というのも、忘れられません。

サイジョウさんの目に涙はありませんでした。
力強い目でした。

思えば、被災された方の涙を見たのは、昨日の劇団四季の時が初めてです。
みんな明るく、強いです。
食事の席では冗談も飛び交います。
泣きながらも前を向いているなという印象です。
ここの人たちが強いのか、そもそも人間とは強いものなのか、よく分かりません。


宮崎公立大学2年脇田真澄です。
今日は湊小学校の裏にあるお寺の掃除・草抜きを一日中していた。日中は暑く、大変だった。23時頃に震度4の余震があって少し驚いた。明日も頑張りたい。


上村かすみ
今日は昨日のお寺の掃除の続きをしました。震災のときの写真を見ましたが今までのボランティアの方々の働きで少しづつ元に戻り少しでも力になればと思い活動しました。
活動の後はチーム神戸の方に女川に連れていってもらいました。とてもきれいな場所なはずなのにビルが倒れていて津波の恐ろしさが伝わりました。そのなかでチーム神戸の方が話しをされたなかに、4歳の孫を亡くしたおじいちゃんがいつも笑顔で<笑っておくしかないよ>と元気に言っていたのを聞き<ほんまはどないなの?>と聞くと<本当は日本中に津波がおこったら良いと思ってる。それぐらい当事者じゃないと気持ちはわからない。>と。被災された方の心の傷は想像することができないぐらい深いものであることを改めて知らされました。そのなかで私たちが出来ることは何か…それを考えながら明日の活動も全力で頑張ります。


上井優花
今日はお寺の掃除を主に行いました。作業が終わってから女川の現状を見に行きましたが、あまりの現状に言葉が出ませんでした。現地に赴いた事で被災者の方々がどんなに辛い経験をしたのかが良く分かりました。本当に1日も早い復興を祈るばかりです。私たちが出来る事も明日が最後なので一生懸命頑張りたいです!


宮崎公立大学一年 坂東 春奈(19)
8月11日、今日は昨日作業した多福院とその隣りにある慈恩院でお盆に向けて除草作業をしました。震災からちょうど5ヶ月の今日は、たくさんの人がお墓掃除に来ていました。でも、今でさえまだお墓が崩れたままの場所も多かったです。夜はチーム神戸の方が女川町へ連れて行って下さいました。実際の波の高さに、生き延びた人の方が、凄いと思いました。津波直後のままの場所が、今でも結構多く残っていて予想外でした。それでも、避難所はとても温かみがあり、良い人ばかりです。何度も元気にさせてもらっているな、と感じます。


公立大1年樗木真理
今日は昨日に引き続き、お寺の草取りをしました。今日も暑かったのですが、昨日よりは涼しく、全員で作業を終えることができたのでよかったです。
お寺の方も優しく、飲み物やメロンをくださり、とてもうれしかったです。
終わったあとに、大西さんたちが女川町というところまで案内してくださいました。被害がかなりひどくて何もない壊滅的な状態で言葉がでませんでした。まだ行方不明者の捜索が続いていて、言い表せない気持ちになりました。
また、そのあと施設の方に実際に体験したことを語っていただき、様々なことを学びました。津波が来るときは、家族とかの絆を一回断ち切って自分の命を守らなければならないこと、災害が起きたら車で移動してはならないことを絶対に忘れないようにしようと思います。
明日も頑張ります。


宮崎公立大学1年 伊藤実穂
今日も多福寺と慈恩院の草抜きでした。夕方、大西さんに女川町に連れて行っていただきました。5階建てのビルの上にもがれきががある状態で、やっぱりボランティアはまだまだ必要だなと感じました。


宮崎公立大 2年 松尾淳平
今日も、湊小学校裏の多福院と慈恩院の草むしりであった。
お寺の方の話しを聞けてとても由緒あるお寺だと知った。
また活動後、避難所の本部長の庄司さんから津波の体験談を聞き『津波てんでんこ』という言葉をいただいた。
津波がきたら、つらいが、一回家族の事を忘れて避難しろという事であった。
自分が助かることが大事であるとおっしゃった。
とても、深い話しであった。
明日も、しっかり活動したいと思う。


宮崎公立大学一年 大西成美
今日は多福院と慈恩院の草取りを主に行いました。今日は日がさしていたものの、風があったのでわりかしら作業しやすかったです。慈恩院の被災直後の写真を見せていただいたら、お墓に車や木の破片が突き刺さっていて衝撃的でした…。
明日でいよいよラストの活動日になります。最後まで一生懸命活動したいです。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 07:12Comments(0)

2011年08月22日

8/10 南三陸〜石巻

宮崎公立大2年 安部幸紀
今日は昨日に引き続いて倉庫掃除をしました。1日で終わると思っていた作業が意外に長引いてしまいました。一緒にボランティアに入っていた方の作ったスリッパ置きが完成し、塗装を少しだけ手伝わせて貰った私も後ろに名前を書かせてもらいました。その後、この日は中学校で劇団四季の公演があったので、車の駐車場への誘導係をしました。門のところで立っていると、近所の方が津波についての話をして下さりました。水は中学校には届きませんでしたが、すぐそこまで来たと指をさして教えてくださいました。中学校は高台に建っており、津波がどんなに高かったか、想像を絶する高さだったことを実感しました。


めぐみです。
歌津中学校に来てからずっと、悩んでいたことがありました。
それは、被災された方と話す際、妙に緊張してしまうということです。
その事について昨晩、4人でかなり長い時間議論しました。結論は出ませんでした。
しかし、議論したことに意味があったようで、今日はあまり緊張しませんでした。
恐らく、“被災された方”ということを意識しなかったのが良かったのではないかと思います。
簡単なようで、難しいことです。

また、今日は歌津中学校に劇団四季がやって来ました。
演目は、「ユタと不思議な仲間たち」。
東京から田舎に越してきたユタが、周りの子供たちにいじめられ、自殺を考えるまでになります。
しかし、座敷わらしたちに出会い、命や生について諭され、いつしかユタ自身が変わっていくという物語です。
劇中には、生きているということの価値を訴える場面や、
我々は皆、見えない何かに守られているということを諭す場面がたくさんありました。
観客はほとんどが南三陸町民。
涙をこぼす人や、うつむいたままなかなか顔を上げない人を見かけました。
演劇というフィルターを通すからこそ、言いにくいことを言える、伝えたいことが伝わる。
芸術の素晴らしさを、羨ましいとさえ思いました。

歌津中学校に来てから、自分には力も技術も手段も言葉も、何もないんだという思いが強くなっていきます。


上村かすみ
今日は小学校の隣の神社で作業をしました。草むしりや畳の搬入をしました。今年のお盆は被災地の方々にとって初盆で特別なお盆です。だからきれいな状態の神社でお盆を迎えてほしいと思い作業を頑張りました。そこの方々からのお話を聞くなかで震災のときの神社の様子などを聞き改めて震災のひどさを知りました。また明日もお盆が迎えられるよう作業を頑張りたいです。


上井優花
今日は湊小学校の裏にある
お寺の雑草抜きや掃除を行いました。何事もなく終われて良かったです!


猪野宏樹
今日は湊小裏の神社の清掃をしました!草を刈る、畳入れ、床磨きでしたがかなりやり甲斐がありました!東北にとっては本当に本当に大事なお盆になると思うので今日やったことは例え小さなことでも被災者にとっては大きな助けになったと思います!


宮崎公立大学1年伊藤実穂
今日は湊小学校の裏にある多福寺というところで大震災のあと初めてむかえるお盆の前に掃除をしました。
作業は主に草抜きだったけど、気温が高くみんな疲れが見えていました。
明日も気温は高いので、メンバーも減りますが、頑張りすぎないようにしたいと思います。


宮崎公立大学二年 鬼丸尚士
今日はお寺の清掃活動を行いました。もうすこしで震災が起きてから初めてのお盆。今日の活動はとても意味のあるものでした。


宮崎公立大学2年脇田真澄です
今日は被災されて亡くなられた方々の初めて迎える初盆に向けてお寺の草抜き、掃除などを行った。また、お寺にしく畳も運びだしたりと意外ときつかった。明日も頑張りたい。


宮崎公立大学一年 大西成美
今日は多福寺のお墓とその周辺の草むしりをおもに行いました。今日は宮崎並みに暑くて、昼近くになるとつらくなったときもありました。ですが、朝来たときと帰るときとではだいぶ綺麗になっていたので達成感がありました。明日から人数が大分減りますが、精一杯頑張りたいです。


宮崎公立大二年松尾淳平
今日のボランティア活動は湊小学校の裏の多福院というお寺の草むしりと畳みの搬入だった。
今回の作業は一人一人が自分のペースでやることが出来た。
また、チーム神戸の方や他のボランティアの方達と交流を深める事ができ勉強になった。
怪我、病気に気をつけ一生懸命取り組みたい。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 15:04Comments(0)

2011年08月20日

8/9 石巻班と南三陸班にわかれて

文責:小玉直也
ブログのアップが10日ぶりになり申し訳ございません。
私は先月のPCの盗難紛失に引き続き、8/9にネット接続するE-Mobilが盗難紛失しました。
この間、各ボランティアセンターでパソコンやi-phonそして各種充電器、デジカメなどの盗難が相次いでいるそうです。
宿泊している部屋や作業中に置いていたバッグが盗難されているようで、これからボランティアに参加を考えている方は充分、身の回りの物の管理を自己責任でしてください。


それでは、先週、宮崎からボランティアに参加していた学生のレポートを掲載して行きます。


宮崎公立大2年松尾淳平
今日は、朝からチーム神戸と拓殖大学の人達と鹿妻という地区の側溝のヘドロを取った。
力と体力のいる仕事だったが、地域住民の方からの貴重な話しや、ボランティアの先輩方からのアドバイスをいただけた。
何より、差し入れや温かい言葉をいただき、活動意欲が増した。
今日は、いろいろあったが、明日の活動から気持ちと引き締めて取り組みたいと思う

宮崎公立大学2年脇田真澄です。8/9(火)
  今日は港小の宿舎に入って始めての活動だった。内容は鹿妻地区の側溝の掃除だった。結構な量の泥がつまっていて、かなり大変だった。暑さもあって、久々の肉体労働だったこともあって、かなりばてた。明日も体調管理には気をつけて頑張りたい。

大西成美8/9
今日はチーム神戸の方と一緒に溝の側溝のヘドロ出しをやりました。泥が結構厚く溜まっていてかき出しが大変でしたが、やりがいが尚更出てじゃんじゃんかきだしました。暑い中でしたが、近所の方がアイスの差し入れをしてくださってその気持ちがとてもありがたかったです。拓殖大学の方々にもお世話になって今日の作業はなおさらいろいろな方に感謝をすることができました。
夜のミーティングでは後半、悲しくなって泣きそうになりました。何も知らずただ一心に活動をしてきたのですが、このミーティングでの気持ちはこれから先、忘れることができずにふとした瞬間思い出しながら作業すると思います。残念でした。


宮崎公立大学1年  伊藤実穂
 今日は、拓殖大学の人たちとチーム神戸の人たちと一緒に鹿妻(かづま)という地域で、側溝のどろかきをしました。
 水をたくさん含んで真っ黒な泥や渇いてた土をたくさんとりました。
 途中で一人骨折するという事故も起きてしまい、改めて安全性の大切さがわかりました。
 明日からさらに気をつけて、作業をしていきたいと思います。

久保田優介 公立大学 二年生
今日は溝の泥すくいをした。最初、泥がある場所を確認したけれどなかなかなかったけれど、段々と泥が見つかって、ハードになって行った。

上井優花
今日はチーム神戸の方々と一緒に側溝の汚泥除去を行いました。午前中はなかなか作業を行う事が出来ませんでしたが、午後から本格的に作業に取り組み、多くの汚泥を取り除く事が出来ました。暑い中の作業でしたが、鹿妻地区の方からアイスの差し入れをしてもらい、本当にありがたかったです。しかし、途中でケガ人が出てしまったり、至らぬ事が多々でチーム神戸の方からお叱りを受けるなど正直この先のボランティアが上手くいくか不安でなりません!明日でチームを離れる先輩方もいらっしゃるし、なによりチームリーダーが不在という事が大きな不安です。一人一人が責任感を持って行動する事の重要さを強く感じた1日でした!

猪野宏樹
今日は側溝の泥かきをしました!他のボランティアの人がしてたらしく貯まっているところを見つけるが逆に大変でした!今日あるボランティアの人が泥かきが1番被災者に安らぎを与えるって言っていました!セラピーとかじゃなくて1番大事なケアはそういうことではないかなと言っていました!

8/9上村かすみ
今日は8時に集合をし、鹿妻町というところで泥かきの作業をしました。
他大学の方とチーム神戸に参加させて頂きました。今日一番考えたことがチームワークについてです。今日私達を引っ張ってくれたリーダーが怪我をしてしまいました。彼女は今まで計画を全てまとめいつも引っ張ってくれました。ここで私たちがボランティアできているのも彼女の一生懸命な頑張りのおかげです。大きな怪我でとても心配でした。ここで大切だと思ったのは連絡の大切さです。彼女はひとりで責任を感じたうえに不安だったでしょう。しかし、リーダーと連絡がつかないことで更に不安だったと思います。<ほうれんそう>を大切にしていきたいです。これからもどんな形であってもみんなチーム宮崎です。明日からは怪我体調にはとくに気をつけて作業をしていきたいと思います。

栗田有加8/9(火)
今日は朝から拓殖大学とチーム神戸の方々と鹿妻地区での作業でした。
転々と民家の前のブロック式下水路に溜まったへ泥を1つ1つブロックを上げて泥を撤去しました。
作業中、たくさんの住民の方々に声を掛けられ、飲み物をくださったり、わざわざ作業場所までアイスを届けてくれたりと、私たちの行為が無駄になっていないこと、感謝されているんだということを実感し、とてもやりがいのある1日になりました。
チームリーダーが作業中に、足の上にブロックを落としてしまい、親指を骨折してしまうという事故が起こりましたが、避難所の代表の方々の円滑な処置対応により、赤十字病院まで送っていただいたり、移動しやすいようにと部屋を4Fから2Fに変えていただいたり、お風呂に入れるように足にビニールを巻いてくれたりなど、被災者たちの優しさと、これまでの経験とで自分たちのボランティアチームは、他のチームより住民の方々に支えられて、何不自由なくここまで活動してこれたのだと強く感じました。ボランティアとして来ていても、現地の人との1つ1つの交流が本当に勉強になり、自分の中で何かが変わったのを実感しました。
私は明日午前中作業を終えて、宮城を離れますが、最後日(半日だけですが)、ここまでお世話になった住民の方々、避難所の代表の方々に感謝の気持ちを持って、恩返しではないですが、明日は一切迷惑をかけず、少しでも街の復興に近づけることを肝に銘じ、精一杯活動したいと思います。



南三陸班より

あだちめぐみ8/9
今日は朝からずっと歌津中学校の倉庫の掃除をしました。
支援物資として届いたスリッパ(「歌津中」の印字入り!)を運び込むためです。
力仕事や解体作業が多く、沖縄から来た大工さんとその息子さんが大活躍されていました。
やはり技術と力はあった方が断然イイですね!!!
宮崎に帰ったら筋トレしようかな。
歌津中学校は、震災直後、避難所として使われていました。
今では多くの方が仮説住宅に引っ越され、歌津中学校にいらっしゃるのは10人程度だそうです。
元々避難所だったため、入浴も洗濯も毎日できます。
ビジョンネットという団体が設置したそうで、お風呂は広くて快適、洗濯機も4台あります。
もちろん、歌津中学校に用意された全てのものは、被災された方々のためのものです。
今日は朝から感じるものが多い1日でした。
あべふぉー、大工さん親子、私の4人で、相談したり論議したりしました。
歌津中学校でお世話になるのは、約1週間です。
短いです。
それなりのことしか出来ません。
求められた以上のものを返す、ということを意識しながら、明日また頑張ります。

宮崎公立大2年 安部幸紀
今日は朝に学校の清掃を行いました。まだ完璧ではないので、これからも毎朝継続していくつもりです。
それからは倉庫の掃除を行いました。届いた支援物資を卒業式の日により取り出しやすくするために必要な倉庫で、今日一日では最後まで終わらなかったので、明日に継続していきます。
中学校から少し下に降りると、そこには瓦礫が続いています。
重機の音が響いて、まだまだ撤去作業は終わらない様子です。
今は、自分に出来ることを求められた以上で返すことを徹底していきたいです。


小玉直也
NPOみやざき災害救援センターでは今回が4回目の事故となりますが、初めての人身事故ということもあり、その後の対応や事前の準備など反省し教訓にしていかなければいけない点がありました。
怪我をした学生および関係者に心配とご迷惑をかけたことを、現場責任者としてお詫び申し上げます。
私は、南三陸町と石巻市に学生ら18人を現地ボラセンに引き継ぎ、
福島の小学生のサマーキャンプで被爆線量を軽減し、外で遊べない子どもたちを遊べるようにと福島大学のボランティアセンターに協力し40人の小学生を引率しフェリーで名古屋港に向かいました。
太平洋上で携帯が圏外になり連絡がとれない約16時間の間の出来事で、怪我した学生がチームリーダーだった事もあり不安と失念にかられ大変だったと思います。
以後、同様のケースを招かないように、いっそうの努力が求められていると痛感しています。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 06:53Comments(0)

2011年08月12日

8月8日 チーム宮崎 レポート

文責:小玉直也
この日は、炊き出し班と作業班と南三陸班にわかれレポートが届きました。


炊き出し班

めぐみです。
今日は、午前中は石巻市で炊き出しを行い、午後からは南三陸町に行きました。
南三陸町でも活動しましたが、以下に紹介する遠藤先生のお話を聞いたのは私だけだったので、遠藤先生のお話と、医学生である私が感じたことを、今日の報告とします。

遠藤先生は、石巻市で内科医として個人病院を開いていらっしゃいました。
3月11日からの5ヶ月間、どのように過ごしてきたのか、何があったのか、何を見たのか、思い出すのもつらいはずなのに、たくさん話してくださいました。

遠藤先生の家は、1階が病院、2階が居住スペースになっています。
津波は2階の床下にまで迫り、津波が去った後には、同じ高さの瓦礫の山が残されていたそうです。
自治体による瓦礫撤去は個人の家が優先されました。遠藤先生の家は病院と自宅を兼ねていたため、撤去作業は後に回され、遠藤先生は知り合いの方々と共に片付けをされました。
全て片付いたのは、震災から82日後。
ついこの間のことです。

遠藤先生の家の近くには湊小学校があり、避難所になっています。
遠藤先生は、避難所の医療責任者の方や薬剤師さん、同じく被災者である日赤の看護学校の方々と協力しながら、診療を行われました。
自らも被災し、自宅もまだ片付いていない方々が医療チームを組み、活動するということは、医療従事者のあるべき姿だと思います。
また、そこに看護学生も加わっていたということが、私にはとても大きなことに思えました。
学生でも、災害時には“医療に携わる者”として行動できるということが、湊小学校では示されました。
私は今、医学部の3年です。
まだ学生ですが、既に“医療に携わる者”なんだぞ、と言われた気がしました。
出来れば、湊小学校に避難していた看護学生にも話を聞いてみたいです。

遠藤先生はたくさん話してくださいましたが、自分の中で、まだうまく言葉でまとめられません。
8月19日の報告会ではうまく報告出来るようにしておきます。
 宮崎大学3年 安達めぐみ


今日は鈴木さん宅で宮崎牛・鶏の炊き出しを行いました。
近所のみなさんが集まって、喜んで食事をして下さっていたので、ボランティアとして来ている身ですが、こっちが逆に励まされました。被災者の方々の笑顔が見れて本当に良かったです!
公立大1年 上井 優花


石巻の津波の被害の大きさにただただ驚くばかりでした。大きな石油タンクが道路にころがっていたのには驚きました。この状態にも驚いたのにこれより悲惨な状況があったと思うと恐ろしかったです。ですが、人の力でここまで片付いたと思うと、私もその力に少しでもなりたいと思い、これを励みに頑張ろうと思いました。
宮崎公立大学一年 大西成美


8/7日(月) 今日は、午前中被害の大きかった石巻市を訪ね、現状を見て回った。見れば見るほど、ひどい光景が目に飛び込んで来た。被災者である鈴木さんのうちで炊き出しを行った際に、当時の話を聞かせて頂いた。現実味がわくと同時に、ほんとに貴重なお話だと思った。明日からも頑張りたい。
宮崎公立大学2年脇田真澄


今日は石巻に行きました!とにかくテレビで見るよりもすごいインパクトがありました!燃えた学校、積み上げられた車、ゴミ、何もかもあの津波によってもたらされたのかと思うとその時の凄さが伝わってきました!その後の炊き出しで鈴木さんのお話を聞いて改めてこの被災地のためにも自分のできることをやろうと思いました!


8/8(月) 今日はあっという間の1日でした。
自分達のせいで、今朝、のびる地区東部支援センターから撤退させられ、何のためにボランティアに来たのだろうかと改めて考えさせられました。
今日は、午前中に松島港、集積所周辺、日和山を見に行き、4ヶ月経った現在の街の様子を拝見し、まだまだ復興への道なりは長いと痛感しました。
午後は、湊地区の鈴木さん宅で宮崎地鶏の炊き出しをしました。
近所の方々も大勢集まってくれて、たくさんの貴重な話と、たくさんの笑顔をいただけました。
ボラセンの派遣で泥撤去に行ったチームと、南三陸町の様子を見に行って活動してきたチームの話を聞きましたが、今回のボランティアで私にとって最初で最後の炊き出しをやらせてもらえて、支え合いながら強く生きているたくさん被災者たちと交流することができたことは、とても良い経験になり、今後の自分の大きな財産になったと思います。
今日から最終日まで、湊小での宿泊、ボランティア活動になりました。住民の方々、代表の方々に迷惑をかけないように明日からも一つ一つのことを真剣に考え、慎重に、一生懸命活動していきたいです。
小玉さん福島から見守っててください!おやすみなさい!
公立大2年 栗田有加



作業班

 今日は、尾ノ崎という場所で活動しました。
 尾ノ崎にいくまでの道に、土台だけになった家や地盤沈下して川になってしまった住宅地を見て、改めて津波の被害の大きさを知りました。
 作業は草むしりだけだったけど、やり終えた後は、道がきれいになっていたのでうれしかったです。
宮崎公立大学1年 伊藤実穂


今日は私はボランティア班で尾ノ崎という、海沿いでまだあまり手が付けられていない地域へ行き、砂の除去を行いました。
 かなり被害が大きいところで、家の屋根や重機が沈んでいるのが見えて、ここで生活していた人々がいたと思うとすごく悲しくなりました。
 作業はすごく暑くて皆最後はかなり疲れていたようですが、めぐろさんやぎぼさんを中心に協力できたと思います。
 昨日、施設の方に迷惑をかけてしまって本当に申し訳なかったと思ったと同時に、遊びに来てるわけではないので何のためにここに来たのかを考えて行動しようと思いました。
明日もがんばります。
公立大1年  樗木 真理


8月8日(月)
昨日は反省すべきことが多くありました。自分が宮城まで何をしにきているのかを考えて行動する
という考えが甘かったと思います。周りに迷惑をかけているというのはボランティアということはできません。これからは被災地の方々の気持ちを考えたうえでの行動も更に重要になります。自覚をもった行動をします。今日は石巻市のボランティアセンターからの作業をしました。津波の被害がとても大きなところで
ニュースで見た大川小学校の近くでした。津波の影響で街がなくなり、多くの方々の生活が奪われていてショックをうけました。作業内容は石碑の周りの片付けでした。土を掘ったり草を抜く作業でしたが、ボランティアを2ヶ月以上やっている
方々の貴重なお話を聞くことができました。無理をしすぎないことが大切で倒れてしまうことが周りへの迷惑にもなると聞き体調も気をつけながら明日からも頑張ります。
 宮崎公立大学2年 上村かすみ


今日は昼から石巻にボランティアに行った。そこはまだ手が付けられて一ヶ月くらいの場所だそうで、実際見てみると、まだ家などがそのまま残っていたりした。自分たちが任された仕事は少し高い所にあるお墓に行くためのみちの、入口の泥だしだった。その仕事に休憩をはさみ午後3時までやった。次の仕事も依頼されていたけれども道に重機があり危険で天候も悪くなったなったので中止になった?。
宮崎公立大学 二年生 久保田優介



南三陸班

今までテレビなどのメディアで見たこと、聞いたことが私の目の前で現実になった日でした。
昨日でも十分感じていたことですが、南三陸の景色を見て、例えるなら今まで神話のように思っていた事柄が私の中で現実のものとなり、すっとピースが嵌まったような、そんな気がしました。
これが日本で起きたことで、ここで、この地で。
今日は小学校についてから、お風呂場の排水口付近が一面苔が生えて緑色になってしまっていたので、その掃除をしました。
他にも備品を補充したり、一緒に活動をしている人は大工さんだったので、薪割りや錆のチェックなどを行っていました。
宮崎公立大2年 安部幸紀


今日は南三陸町を訪れた。
そこにあった町の全てが流されており、本当に何もない瓦礫の海だった。ただその景色をみたある方が「この間きたときは全然違う」とおっしゃった。着実に復興は進んでいる、僕らもやれることをがんばろうと感じた。
鬼丸尚士 19歳

以上です
まだ、レポートが届いていない人もいますが、とりあえずアップします  

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2011年08月11日

8月7日 宮崎からのボランティアが活躍中!

文責:小玉直也
ブログのアップが遅くなりすみません。
毎日、睡眠時間が3〜4時間で4日ぶりに午前中パソコンをネットにつなぐ時間が30分作れたので、ブログのアップをします。
この間、いろいろ掲載すべきこともありますが、今回は初日に学生たちが感じたことをメールでもらっているのでアップします。

宮崎公立大学1年 坂東 春奈(19)
8月7日、午後から松島町の鳴瀬第二中学校で初めての作業を行いました。まず最初に、テレビで見るよりも生々しい様子に何も言えませんでした。鳴瀬二中では、一階の瓦礫やヘドロを手作業で外へ出しました。途中で松林も見に行きました。中学校の体育館が、凄まじかったです。バレー部の用具などが散らばっていて、私もバレー部だったからどんな思いで毎日使っていたのかがわかって息の詰まる思いだった。一瞬で、あんな風に変わってしまうのがとても恐ろしかったです。その思いを受け止めながら、今後の作業をしていきます。


脇田真澄です8/7
  今日は朝、夜行バスで仙台に着いたのち、電車で松原海岸まで行き、野蒜までは震災で電車が出なかったので、代行バスで行った。 そこでは、TVで見たのと同じ風景が広がっていて、言葉を失った。鳴瀬二中のガレキ撤去を行ったが、かなりきつかった。体育館などは手付かず状態でほんとうにひどいものだった。明日は午前中炊き出しのお手伝いをしたのち、午後から作業ということなので、頑張りたいと思う。


細田勇人 福島大4年
私は被災地を訪れたのは2回目ですが今回は実際に掃除や泥だしなどの作業をすることによって、テレビのニュースでは視覚でしかわからなかった現地の実情を手で触れたり鼻から入ってくる匂いなど五感をフルに使って感じることが出来ました。そして作業は思ったより大変で4ヶ月でここまで元に戻した自衛隊や警察の方々の対応力の凄さに改めて驚きました。
またここのボランティアの設立者である人の話を聞けて被災地じゃない人がここまで頑張ってくれてるのだから、被災地出身の自分はもっと頑張らねばならないと思いました。明日で自分は最後ですけど頑張ります!


松尾淳平 
今日は、ボランティア初日だった。東松島市にある鳴瀬第二中学校が現場だった。
海岸に近いこの中学校は津波により一階が壊滅していた。
この現場は行政の手がはいらない場所であり、自分の管理を自分自身でやらねばならないところであった。これからも危険な場所での活動は多いので気を引き締めて取り組みたい。


宮崎公立大学 一年   大西成美
今日初めて自分の目で津波の被害にあった現場を見ました。実際見てみると津波の強さがどれほどだったか分かりました。それは、今日の活動場所の鳴瀬第二中学校でも同じでした。明らかに海岸の砂であるさらさらした砂を教室から掃き出す作業を行いました。砂にはガラスの破片がまざっていてかき出す度に破片も沢山出てきて仕分けの作業も大変でした。ですが、私たちができるこういった細かいことも大切な仕事の一つだと思いました。明日からもこの気持ちを忘れずに作業していきたいです。


栗田有加
今日は午後から、鳴瀬第4中学校へ行き、ガレキや泥砂の撤去作業をしました。
学校の2F部分まで津波にのまれたということを聞き、現場を見て、5ヶ月経った今でもどれほどひどかったのか思い知りました。
掃除をした場所は、部活のユニフォームや、体育着などが保管されていた所らしく、海水に浸った状態のままでした。引き出しから出して海水を流し、ユニフォームを“ゴミ”として扱ったことは、仕方ないことだけど、とても心苦しかったです。
話によると、休憩で行った野蒜小学校では100人以上の遺体が見つかったらしく、その話を聞いたときは胸が痛かったです。
5感すべてを使って被災地での
貴重な体験ができました。自分たちの今置かれている場がどれだけ恵まれてているかつくづく感じました。毎日何不便なく生活できていることに感謝したいと思いました。
明日は3つのグループに別れて
活動なので、自分にできることを精一杯したいです!


久保田優介
今日は午後から成瀬二中でどろの撤去作業をした。六人でひとつの班をつくり、作業を分担し、自分たちはトイレとひと部屋を担当し行った。どろやコンクリート、ガラス、金属などに分け集め、グランドにすでに分けてある山に移した。
その作業が終わると、外に集められた物を分ける作業を行いました。


上井優花
今日被災地宮城に入り
被災地のリアルな現状を
目の当たりにして正直言葉を
失いました。成瀬2中の復興作業に当たり、自分の出来る事は精一杯したつもりです!被災地にいる間は少しでも被災者の役に立てるよう頑張りたいです!


伊藤実穂
 今日から宮城でボランティア開始
 仙台駅までむかえに来てもらって車の中で仙台の地震・津波被害についてのお話をちょっと聞きました。仙台は100万都市だけど被害が少なかったそうです。それは、高速道路が防波堤の役割をし、波が越えてこなかったことと、昔からの知恵で住民の人たちが高台の方に家を建てていたからとのことでした。
 やっぱり、その土地に住む人の知識というのは
とっても大事なんだなぁと思いました。
 そして、午後はなるせ第二中学校に行き、泥出し作業をしました。体育館を見て、衝撃を受けたけどまだまだボランティアを頑張らないと、という気持ちにさせてくれました。
 明日も頑張ろうと思います。


松井祐太
仙台は11時前。七夕祭で盛り上がる町並みを尻目に車でしばらく走る事1時間。
野蒜駅に到着。機能不全ではあるが。小玉さんの累積放射能が2日で12マイクロシーベルト。高いか低いか良く分からん。テレビ見いへんし。
だから臆する事無くボランティアに来れたのかも知れない。

曲がりくねった信号機を目にする。少し緊張する。少し宮崎公立大学生のボランティアの子達と交流する。彼らは真っ直ぐな綺麗な目をしている。見習わきゃな。

鳴瀬第二中学校の廃棄処理をお手伝いさせて頂く。言うまでもなく皆の感情のピークはその体育館にあった。体育館の時計は14時46分。
あの日の地震からこの学校の時は止まってしまったみたい。

もうこの校舎は学校として戻る事は無い、と聞いたが
この学校の歴史の最後に携わるに恥じない様なお手伝いをさせて頂こうと思った

皆同じ気持ちだったと思う気付くとあっという間に作業終了の16時30分。
海の風を使って練習するスポーツに従事する僕も、
この日の海岸から廃墟の隙間にかけて吹いた風には虚しさしか残らなかった。
明日も朝早いからカップ麺でも食ってさっさと寝ます。公立大の子は良い子ばっかやなぁ


公立大1年 樗木 真理
今日はボランティア初日でした。朝早く仙台駅についた時は本当にここが被災したところなのかと思うくらい市内が活気づいていて驚きました。しかし、田舎へ行くに連れて、津波の被害を受けたところを目の当たりにして、ショックで言葉が見つかりませんでした。 午後から鳴瀬第二中学校というところで、瓦礫撤去作業を中心にしました。トイレの瓦礫を撤去したのですが、終わったあとは綺麗になったのでうれしかったです。
あと、被災地とはいえどもお風呂にも入れて洗濯もできるので、そういったことに感謝しながら、これから頑張って行きたいと思います。


上村かすみ
8月7日(日曜日)
宮城に到着しました。
大阪からバスで宮城に向かい、交流センターに着きました。その後、作業へ向かいました。松島では最近まで生活していたと思えるような家が壊れある場所にないはずの船があり、テレビと見るのと実際に見るなとでは違い言葉を失いました。一番が体育館をみたときで卒業式を迎えるだっただろう場所が津波の影響で
体育館には木があり砂も入り言葉にするには難しいぐらいの状態で卒業式を迎えることができなかったこどものことを思うと胸が痛みました。
作業はトイレに入った砂の撤去をしました。信じられないぐらいの砂の量ガラスの量でした。
今日作業した場所が最初は道路も通ることができなかったけどたくさんの方々の作業の積み重ねで道路を通すことができたというお話を聞いて小さな作業の積み重ねが大きな仕事に繋がると思い明日からも頑張ります。


宮崎大学3年 安達めぐみ
鳴瀬第二中学校での時間は、あっという間に過ぎました。
男2人女4人の私たちに割り当てられたのは、4畳半ほどの部屋が2つと、小さな男子トイレ。
2つの部屋は、どちらも床には何もなく、棚に引き出しや瓦礫が残っているだけでした。
きっと、先に来たボランティアの方々が片付けたのだと思います。
それでも、床にはガラスの破片が飛び散り、壁には泥や葉がこびりついていました。
被災直後はどのような様子だったのか……想像もできません。

男子トイレを片付ける時に、あることに気付きました。
トイレのドアとおぼしきものが、天井の一角にはまりこんでいたのです。
「落ちてきたら嫌だなぁ」と思い、恐る恐るシャベルでつついてみましたが、びくともしません。
完全にはまっています。
その傍にある窓は、ガラスが外側に割れていました。
津波は、ドアを破ってトイレに侵入し、そのままドアを天井に打ち付け、更に窓を破って出ていったのでしょう。
恐らくは一瞬のうちに。
その凄まじいパワーに気付いた時、思わず足がすくみました。

トイレが片付いた頃、1つの部屋の片付けが終わっていました。
棚にたっぷり残っていた泥は全て掻き出され、床は作業前よりも綺麗になっていました。
私がトイレを片付けている間に、他の人が別の場所を片付ける。
これも“力を併せる”ということなんだと、唐突に感じました。

鳴瀬第二中学校は、この先もう学校としては機能しないそうです。
それでも、鳴瀬第二中学校を片付けることは無駄ではありません。
もし私の母校がこんな風になってしまったら、それはとても悲しいことです。
その上、「もう機能しないから」と有無を言わさず重機で解体されてしまったら……。
片付けている時、色んな物を見つけました。
授業中にとったノート、クラスの出席簿、部活のユニフォーム、思い出の写真。
誰かがこれらを探しているような気がしました。
もし何も手をつけないまま解体されていたら、きっと見つけられなかったと思います。
明日は別の場所に移動します。
今日したこと、感じたこと、言われたことを忘れず、公立大生と一緒に頑張ります。


鬼丸尚士 19歳
今日は東松島市の中学校で泥だしなどの作業を行いました。初めて自分の目で被災地の状況を見ましたが、自分の想像を遥かに超えていて言葉が出ませんでした。


公立大学2年 猪野宏樹
今日は中学校の片付けをしました。回りには変な方向に折れ曲がった信号機やぐちゃぐちゃになった体育館などを自分の目で見て改めて自然の強さを感じました。自分のできることは小さいですが今日やっただけでも綺麗にはなったので少しでも復興の役に立ちたいです。


宮崎公立大2年 安部幸紀
「私は何をしているのか。」
ボランティアとしての自覚がまだ足りていないとわかりました。
この場は遊び場所ではありません。
分かっていたつもりですが、ただの『つもり』だったようです。

小玉さんには迷惑をかけてしまいました。
他のボランティアの方にも多大なるご迷惑をおかけました。
誠に申し訳ありません。
自分の愚かさにただただ反省するばかりです。

ただ、くよくよする時間は私にはありません。
しかしもちろん、このような大切なことを忘れるつもりもありません。
今日のことを教訓として自分を戒め、明日からより精一杯頑張っていきます。
ご迷惑をかけてしまった分を取り戻して帰ることができるよう尽くします。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 07:08Comments(0)

2011年08月07日

大阪から医学生が合流

関西の実家に帰省中の医学生が合流して夜行バスで出発

宮崎大学3年 安達めぐみ (19歳)
ボランティア報告会では司会ばかりしていましたが、周りの人たちの勧めもあり、とうとう現地に入る決意ができました!人の目、耳、心ではなく、自分の目、耳、心で感じれるんだと思うと、不安よりも期待が大きくなります。帰ってきた時に実のある報告ができるよう、精一杯頑張ります!


宮崎大学 三年生 21歳
大阪府出身
部活の先輩がボランティアに力を注がれていて、その先輩からボランティアの話を伺い被災地に行ってみたい気持ちが強くなりました。自分自身の経験にもなるとも思っています。今回は復興のお手伝いをするにあたりたくさん勉強させて頂きます。



宮崎公立大 2年
栗田有加(19)
日本だけでなく、海外にも大きな影響を与えた今回の大震災。
すでにたくさんの支援、物資が届けられましたが、まだまだ復興には時間がかかると聞きました。
なにもできずもどかしい気持ちだけを抱いていた私ですが、この機会を利用して、5ヶ月経った今、やっと何かができるチャンスを手に入れることが出来ました。
同じ日本にいる誰かのために、1人でも多くの人が喜び、笑顔になってくれるようなボランティア活動にしたいです!



宮崎公立大学 2年
桂原綾菜(19)
被災者の方々が恐れていること、それは‘忘れられてしまうこと’。その言葉が今も頭から離れません。小玉さんに出会ってから何かが少しずつ、確実に変わりました。
まずは自分の目で現状をしっかりと見て、それから自分に出来ることを考えたいです。知識も技術も経験もないちっぽけな私ですが、少しでも何かできたら、という想いでいっぱいです。‘ 人の手はなぜふたつある様にできてるのか。一つは自分を護るために、もう一つは誰かに差し延べるために。人の体の多くが2つずつあるのは片方は誰かを思いやるために使うためだと思ってる’迷ってる私の背中を後押ししてくれた親友のことばです。精一杯頑張ってきます!!

宮崎からフェリーで大阪へ
大阪から高速バスで仙台へ

長距離の格安移動で被災地へもうすぐとうちゃくします  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 19:04Comments(2)

2011年08月06日

夏休み!今年は被災地ボランティア!

2011年夏
今年は東日本大震災が起こった歴史的な夏休み
九州の宮崎から大学生がボランティアに出発しました
今日は参加する学生たちのメッセージを紹介します


震災以後、被災地に行きたいとずっと思っていたのですが、どうすればいいのか分かりませんでした。今回被災地に行けることになったのは、NPO法人みやざき災害救援センターのよびかけのおかげです。しっかり頑張ってきます。
公立大2年 安部幸紀 21才


実質7日間のボランティア活動で少しでも現地の方々の力になるとともに、被災地の現状をしっかりと目に焼き付けたい。
大変だとは思いますが、一生懸命頑張りたいです
宮崎公立大学2年 脇田真澄 男 19歳


このボランティアには説明会の話しを聞いて参加しようと思いました。もうすぐ5ヶ月になろうとする今も、被災地の状況は厳しいと聞きます。テレビでの報道ではまだ現状ははっきりとわかりません。自分の目でみて現状を知って、同じ日本に住む東北の方の少しでも力になりたいと考えます。不安でいっぱいですが頑張りたいと思います
宮崎公立大学 2年 19歳 上村かすみ



自分にできる事は、ほんとうに些細なものだとは思いますが、自分にできる事を精一杯やってきたいと思います。
宮崎公立大学 二年 鬼丸尚士 19歳


僕はボランティアに初めて参加します!今回の東日本大震災のことはテレビなどから悲惨な状況知りました!しかし日本人の底力、品格など様々ないい面も分かり日本が大好きになりました!自分ができることは少ないですが少しでも復興の手助けをしたいです!
宮崎公立大学 2年 猪野宏樹 19歳


今回のボランティアで被災地の現状を自分の目と肌で感じ、そこで生活されている方々の少しでも力になりたいと思っています。10日間で出来ることは少ないかもしれませんが、今出来る精一杯をやっていきたいとおもいます〓
宮崎公立大 松尾淳平 19歳



今回、被災地に行くと決めてからもボランティアに行くことが怖い気持ちがありました。実際に被災地に行って自分の目で現状を見たときにその気持ちがもっと強くなるのではないかという不安もありました。ですが、行くと決めたからには自分ができることを頑張ろうと心に決めました。少ない時間ですが、被災地の方々の手助けを精一杯したいです。
大西成美 宮崎公立大学1年


震災が起きてからずっと何かしたい、と思っていました。その機会に出会えたことは、とても貴重だと思います。今回のボランティアでは、自分のできる限りのことをして被災地の現状を目に焼き付けてきます。
宮崎公立大学 1年 19歳 坂東 春奈


今までボランティアに参加したことがなくて、この大震災で九州は新幹線か少し混雑したくらいであまり影響はなくて、全然不自由なく過ごしてるけど、東北に暮らしている人のことを考えると、私たちみたいな人が復興に向けて力をかさなければならないんじゃないかと思って参加しました。被災者の人が一人でも多く、早く元の町に戻れるように力を貸したいと思います。
宮崎公立大1年 18歳 伊藤実穂



東北大震災が起きてからただ被災地の被災者を応援することだけしか出来ない自分がもどかしく思っていました。今回被災地に行ってボランティアをすることで災者のみなさんの役に立ちたいと思っています!
宮崎公立大学1年 19歳 上井 優花


☆抱負☆
私たちは被災地の様子をメディアを通してしか知りませんが、実際の被災地は想像とは全く掛け離れていると思います。そこへ行って自分に何ができるかわからないし、放射能も心配ですが、少しでも被災地の方々のために自分にできることを精一杯がんばります。
宮崎公立大学1年 樗木 真理 (18歳)


これから宮城にボランティアに行くに当たってわたしは、何事にも一生懸命取り組もうと思います。そのことが被災された方に自分ができることだと思いますし、あまりよく思ってない人にも少しでも認められるために最低限必要なことだと思うからです。
公立大学 2年 20歳 久保田優介



みなさんから送られて来たメールの誤字脱字を修正してアップしました。
文責:小玉直也  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 20:52Comments(0)

2011年08月05日

宮崎大学表彰式

こんにちは!久しぶりの更新なんでログインパスワードなど忘れていました^^
宮崎大学大学院 工学研究科機械システム工学専攻 修士1年の梶山 望(カジ)です!

私は5月のGWに仮設住宅に畳を運んだボランティアのメンバーです。
今回というか、今日なんですけど、宮﨑大学の菅沼学長から表彰状をいただきました。
ボランティアに行き他の学生の模範となる活動をしてきたということで表彰して頂きました。

大学院 梶山


医学部 平山


医学部 有馬


NPOみやざき災害救援センターの方々や支援して下さった多くの方の支えでボランティアに行くことができ、このような表彰もいただくことができました。
ほんとうにありがとうございます。
まだまだ震災の影響は色濃く残り、これからさきも学生や社会人の方々がボランティアに行き、無理なく継続的に支援していかなければいけないと思います。
また最近ではテレビでも日に日に震災の情報が少なくなり、被災地の現状を知らない人が多いと感じています。
このブログを通して、現地に行ってる人の声や状況、報告会での情報など多くの人に共有してもらい、被災地のことについてこれからさきも考えてもらえたら嬉しいです。

ありま
菅沼学長に表彰していただきました!!
私がボランティア活動にいけたのも、支えてくれた仲間や家族のおかげです。
ありがとうございました。
これからも活動を続けて行きたいと思います!!!

ひらっち
まさか学長から表彰していただくとは思ってなくてびっくりしたというのが正直な感想です。
今日はまた宮崎大学からも公立大学からも石巻市に向けて何人か出発します。
このような機会を与えていただいたことで、1人でも多くの人が被災地のことを忘れずにいられたらいいなと思います。

  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 12:47Comments(0)

2011年08月04日

まとめ〜

文責:正木亮多

前回の記事は時間がなくて中途半端なところで終わってしまいましたm(_ _)m
ボランティア活動を通して感じたことをかんた~んにまとめておこうと思います。

僕がボランティアに行こうと思ったのは、震災により被害を受けている人の話を聞いたり、ボランティアに行って来た人の報告を聞いていて、いてもたってもいられなくなり自分も何かしたいという思いが強くなって来たから。理由は多くの人と同じものだと思います。

東北に出発する前や行っている間、帰って来てから、震災復興ボランティアに携わっていると話すと多くの人に医学部の人はきっと役立つからね~と言います。でも今回ボランティアに行って、それは違うんじゃないかなーと感じました。というのは今回医学部生だったからこそできたってことは何一つないし、何よりもボランティアに来ていた人たちが資格や特技やボランティアに役立つ物は何もないけど自分に何か出来ることがあればって言っている人が多かったからです。被災者からの依頼で泥だしで貢献できるし、炊き出しはすごく喜んでくれるし、避難所で生活している子供と遊んであげるだけで子供だけではなく両親も手があいて喜んでくれます。必要なのはボランティアの人手だけで、
本当に誰でも何かに役立つことはできるなと感じました。

東北に出発する前、NPOみやざき災害救援センターの報告会に何度か参加していました。現地に行って来たメンバーの報告を聞いたり、被災者の生の声が聞けたりしてある程度現地の状況を把握することは出来ました。しかし、実際現地を訪れてみると自分の想像をこえるものがあり、報告会やメディア等で聞いていたものとは違っているなと感じました。やはり自分の目で耳で感じたものは大きな経験になったと思っています。



今回は1週間の活動でしたが、現地で活動し多くのボランティアの人や被災者の方と知り合って、被害の現状を知っていくうちに、ボランティアの人手はまだまだ必要だと感じました。まだまだやり残していることが多く残っていると思うと、最終日にはもっと長く活動していたいという思いがこみ上げてきました。またまとまった時間を作って現地に入って活動したいと思っています。


  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 14:51Comments(0)

2011年08月04日

南三陸町 歌津中で夏祭り!

感動と涙あふれる夏祭り!

男の子はみんでハッピ着てソーラン節

女の子は浴衣姿です
このハッピも浴衣も全国からの差し入れだそうです

あべ先生との再会
ゴールデンウィークの時に流した涙は忘れられません
そして再会しても涙があふれる

キャンドルナイトも盛り上がる

校歌のテーマになっている

1番「命」

2番「心」

3番「夢」


いや〜
えがった!えがった!!

南三陸もまた一歩進みましたね
んだ、んだ。

文責:小玉直也  

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2011年08月02日

石巻が新たな一歩!

石巻市恒例の川開きと灯籠流しが、多くの市民の笑顔と涙の中、今年も開催されました

例年3日間の催しだが、今年は1日短縮して2日間、石巻市中心部でにぎわいました

翌日は日中、イベントが繰り広げられ
夜には北上川の中瀬で花火が4500発うちあげられました

花火の打ち上げに使われた、この中瀬は元々、造船所があり津波で流され更地になりました

この日は湊1丁目の鈴木さんに誘われ廃墟になったビルの屋上で楽しみました

写真前列で携帯写メを撮っている方はDr.遠藤
津波で被災した遠藤内科近くの湊小学校で水も食料もままならない中
毎日、朝から夕方までひっきりなしに住民を診察した遠藤先生
1300人いた避難者の中、薬も医療器具も無い中奮闘。
話を聞くと、また涙が止まりません

素敵な花火が打ち上げられる中
復活を象徴する花火、フェニックスではひときわ大きな拍手で盛り上がりました

また一歩、石巻市が前に進みました

文責:小玉直也  

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2011年07月31日

側溝を速攻に。。。

今日は一日中泥撤去をしていました。
3カ所回り、もうクタクタです。最後に行った現場では、側溝にコンクリートの蓋がついていてかなりの難敵でした。また、時間が迫っていたので『側溝を速攻に』というくだらないダジャレが飛び交う中での作業でした。

17時ジャストに作業が終了し、皆で歓喜のハイタッチ!近所の方々も応援してくれたので、とても力になりました!

今日で石巻に到着して8日目、、きつい作業が多い中、『もう帰りたい』『あーだるい』などと思ったことは1日もありません。
この地域の方々が前を向いているので、すごく力をくれます。元気になれます。寝る時も、また明日頑張ろうと思えます。
今まで、自分がどれだけ甘えていたかが分かります。

まだ途中ですが、というか中途半端すぎますが、川開きという祭りがあるのでこれで失礼します。
文責:林  

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2011年07月30日

体力の限界!

@仙台駅から「おはようございます!」

なぜ、仙台駅から朝の挨拶になったかというと、

昨日の朝、5時起床で福島から石巻市に移動。
NHKの中継が9:00からだったのですが、東北自動車道で事故が2件発生し大渋滞。石巻市に到着したのは8:40くらいだったものの中継の湊1丁目に到着したのは9:10
バタバタとNHKの中継をやるなか、正木は最終日のボランティアのヘドロ除去に参加。

そのあと、石巻市社会福祉協議会の専修大学ボランティアセンターで手続きを済ませ、最終日だった正木の希望で石巻市民病院を訪れました。
その後、寄り道をしながら、仙台駅に到着して正木が隣でがんばってブログの記事を書いてました
私は、体力の限界で仙台駅前でハザードをつけて仮眠

正木がバスが来るので帰ります!
という声が少し聞こえたような……

目が覚めたら仙台駅で朝の5時


おもわず、おはようございますと記事を書いてました。

今日は南三陸の祭りに顔出して、石巻市経由で福島に戻ります。

文責:小玉直也  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 05:46Comments(0)

2011年07月29日

石巻最終日

文責:正木亮多

今日は朝から石巻市湊小学校に避難している鈴木さん宅でNHK宮崎へのSkype中継がありました。現地に入っているボランティアがSkypeを使ってビデオ通話で出演するって感じです。

中継は9時からということでしたが9時の時点ではまだ現場に到着しておらず、車で移動中。いわゆる遅刻ってやつですタラーッ

移動中の車の中から街の様子をNHKに配信しながらの中継スタートとなりました。NHKのキャスターさんも珍しい映像だと驚いていましたワーイ

少し遅れて鈴木さん宅から中継が始まりました。出演は小玉さん。僕はカメラを回していました。鈴木さんのの家は一階の屋根のすぐ下まで水が押し寄せてきて、凍えそうになりながら震災があった夜を屋根の上で過ごしたと話してくださいました。




その後は側溝のヘドロかきをしている仲間に混じって汗を流しました。
現場は民家が多く立ち並ぶ住宅地の道路で、近所の方が様子を見に来てくださったり、知恵を貸してくださったり、差し入れを頂いたりで楽しみながらヘドロかきができました。


作業は午前までで抜けさせていただきました。

午後からは帰る準備をしました。

石巻を出る前に、石巻市立病院に寄ってきました。この病院は海のすぐ近くに建っています。




海に近い周辺の地域では道路が冠水しています。地盤沈下のためです。




満潮時はや大潮のときは道路が一本なくなってしまうぐらい冠水して、住民のかたは陸の孤島に取り残されるか、大きく回り道をしなければならないという状況でした。上の写真は強硬突破している様子です。

石巻市立病院では二階の床下すぐまで津波が押し寄せてきました。





............以上書きかけですがアップします。
今から夜行バスに乗って帰ります!もうバスが来てしまったので!


  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 23:47Comments(0)

2011年07月28日

写真ありませんが。。。

今日は昨日に引き続き、あるお宅のお手伝い。

昨日と今日で床板を剥がし、床下の泥をかきだしました。1階部分が居酒屋になっており、業務用の巨大な冷蔵庫が傾いていました。
その巨大冷蔵庫をピカピカに拭き上げ、また使えそうな状態に。(写真を撮ってビフォア アフターすれば良かったですね。。)
建物内の泥は取り除きやすいのですが、側溝の泥は石も混じっていてかなり時間がかかりました。

石巻に到着して今日で5日目になりますが、1日1日がとても濃く、かなり勉強になります。内容を説明すると一ヶ月ほどかかるので省きますね。

約10日間の滞在ですが、4日目にして早くも3キロも体重が落ちました。延岡に帰るまであとどれだけ減るかが楽しみー。

文責:林  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 18:11Comments(0)

2011年07月27日

宮城県石巻市から

文責:正木亮多
今日はみやざきチームは別行動。

僕の方はJustinとDoredさんとSonnyの4人で依頼者の方の家周囲にある側溝掃除、残り林を含む4人は家の中の泥かき(多分)。

なんで僕がヨコモジだらけな人たちに囲まれているんでしょうね笑い

さらに今日は神奈川から来たボランティア34人も加わり、二手に分かれて常駐組(僕たち)がリーダーとなりました。

僕たちの方は側溝の泥かきです。
側溝の中には土やヘドロが溜まっており、異臭を放っています(これがまた臭い!)。4ヶ月以上たった今も手つかずで残っているヘドロはたくさんあり、この町が奇麗になるのにあと何年かかるのだろうと思いました。

依頼者の方に現場を見ながら側溝の泥かきを頼まれたときは、果たして今日中に終わるのだろうかと気が遠くなっていたのですが、やっぱり人数がいると仕事が早い!



予定よりも数時間早く終わりましたチョキ

今日はチームのみんなで民間でやってる温泉にはいりに行きまーすメロメロ救援物資で届いたけど余っている卵の使い道を考えながらゆっくりお湯に浸かることになるでしょうワーイ  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 18:05Comments(0)

2011年07月27日

福島市民の必死の叫び

場所は、福島駅横のコラッセふくしまにて7月19日に「政府交渉 in 福島」と題して行われた、福島市民と政府関係者との交渉。

住民との交渉テーブルについたのは、写真左から
(独)放射線医学総合研究所:山田裕司 文部科学省原子力安全課:鍋倉幸雄 原子力災害現地対策本部室長:佐藤暁 原子力災害現地対策本部総括班:原昭吾 原子力安全委員会:生駒豊 原子力災害現地対策本部住民支援班:新保昌人 さんら

行政側の説明は文章を読みながら、「直ちに人体に影響がある数値ではありません」などのらりくらり説明。

そんな中、必死の訴えが続く。

9歳と1歳2ヶ月の子どもがいるなか、私は普通の生活をしたいだけなんです。不安で不安でしょうがなくて、子育てがつらい、危険だから家にいればとあったけど、子どもの成長過程の中で花を摘んだり虫を捕ったり太陽を浴びながら成長して行くのがどれだけ重要かわかりますか?子どもに普通に生活させられない。私の家も毎月10万円の住宅ローンが残っています。避難したくても迷う。主人は福島に残って仕事をして私たちを避難の資金を作るからと。住宅ローンはどうするって主人に聞くと「俺が死んだら保険金が入るから、それで何とかなる」うちの旦那は私と子どもを守るために命をかけてる。私の妹も結婚前で避難をするか迷っている。元気な子どもを産み育てるためにも、避難を考えていたが、いま交際している人を残して避難できない。不安でたまらないと悩み迷う。

高校の先生は、子どもたちの事を思い、登下校の際はマスクをちゃんとつけようと呼びかけ続けると

校長室に呼ばれるようになり、子ども達の不安をあおるのはやめろと連日パワハラを受け、今月退職する事に

すべては紹介できませんが、続々と必死の訴えが
話を聞きながら、涙があふれとまりません

その訴えに対して、「避難したい人は自分で判断して避難したらいいんです」
と淡々と対応する担当者に、会場から非難の声が

本当に福島で求められている物は多岐にわたり、深刻な実態と放射能への知識と対応が行政も住民もバラツキがあるうように思われ、あらためて「想定外」という言葉で言い逃れできないと痛感しました。

ひとたび事故が起きれば、人体にも動植物にも地球環境にも多大な影響を与える原子力発電所を管理する側は、あらゆる想定に対応する能力がないと管理すべきでないものだと。

いや、あらゆる事故に対応できる事ができるわけが無いのだから、あらためて原子力エネルギーに国民もメディアも政府も企業も向き合い、エネルギーについて考えていかないといけません。

文責:小玉直也  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 07:49Comments(0)

2011年07月27日

支援物資配布と被災地調査!

文責:林晃太

今日は午前中に支援物資配布のお手伝いをして、午後からは周辺地域の被災地調査に行ってきました。
ボランティア仲間4人で、女川、雄勝を見て回ってきました。

寝泊まりをさせていただいてる湊小学校を出発し、約20分後...急に風景が変わったと思ったら、家の基礎だけが残った開けた場所に到着しました。4人とも言葉を失い、呆然とその風景を眺めていました。
横倒しになった建物、骨組みだけが残った建物、人が住めそうな建物は1つもありませんでした。



その後また車を走らせ雄勝へ....海沿いの山道を走っていくと、これまた信じられない光景を目にしました。
雄勝公民館の屋上部分にバスが乗っかってました。この高さまで津波が達したのかと想像するだけで恐ろしくなりました。



雄勝公民館の周辺は瓦礫がまだ残っていて、唖然としてしまう光景ばかりでしたが、足下を見るとピンクの綺麗な花が咲いていて少し元気を分けてもらいました。



石巻に来てまだ数日しか経っていませんが、避難所で生活されている方々、地域住民の方々に元気と勇気をたくさん頂いています。
残り少ない滞在生活になりますが、限りある時間の中で、自分が出来ることを精一杯やってきたいと思います。
本日は画像掲載がうまくいかず、見にくい状態となっております。申し訳ございません。
以上:林晃太



以下、文責:正木亮多

午後11時からチーム神戸の大西さんの車で被害にあった地域をみてまわることに。

湊地区から出てまずは女川へ。

女川の地形は典型的な三角州です。元々河川の流れによって出来た土地なので(多分ですよ)海抜も低く、被害も甚大でした。

被害状況を記録に残そうとEOSkissの電源を入れたらなんとバッテリー切れの表示。
写真は林さんに任せます….m(_ _)m

その後は雄勝に向かいます。

女川、雄勝、両地区ともまともな家は一つとして残されていませんでした。
家が建ち並び、商店があり、漁業で栄えている風景を思い浮かべると、被災後とのギャップに思わず言葉を失いました。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 00:12Comments(0)