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Posted by みやchan運営事務局 at

2011年05月29日

Before → After 校舎編 & みやざき食堂

選挙看板のリサイクルをBefore → Afterで見てみましょう。
これは、体育館でなく、校舎

元々職員室になっていた1階の部屋に津波で車が突っ込んで来てドアが大破しました。
そこにダンボールで応急処置をしていたのですが、雨が入ってきてダンボールの外側にブルーシートがかけられている状態でした。今週末には台風が接近するかも知れないとの情報もあり、早急に強化する必要がありました。
そこで、選挙看板のリサイクルが登場
普段は一戸建ての家をつくっている佐藤建設ですが、今回はボランティアと一緒に壁作り。これが、正確にメジャーして補強するための木材も打ち込み完璧に仕上げていく。

これがAfterです

これで週末の雨風は防げると大好評でした。
by Naoya


コージィ5日目
今日も午前中は湊小の体育館ドアの補修を行った。
湊小での作業も最終日で、作業自体もやりきることができたので良かったと思う。
午後からは、牡鹿半島の方に炊き出しに向かった。石巻から昨日の炊き出しにも来てくれていた、アッコさんが応援に駆けつけてくれた。アッコさんからはボランティアの問題点や考えなどを聞かせてもらい参考になった。ここでも宮崎牛と宮崎地鶏は、みんなに好評で喜んでもらえて嬉しく思う。今日は牡鹿半島の方で宿泊である。早いもので明日が支援活動としては最終日になるので、ゆっくり休んで明日に備えたい。


初めての牡鹿半島入りこの日は大原集会所で炊き出し

グッさんの
朝は早い、本日は四時十五分、でももう薄明るい、宮崎よりもやはり一時間くらいは違う。回りではまだイビキがひびいている。本日は体育館の鉄の扉の補修にチャレンジ、津波の重圧で内側に反り返ったままの2枚を元の姿にに戻すというもので、どこの学校の体育館にもありふれたもので、想像はつくと思うがとても重いものである。ほんまにこれが元通りになるんやろかと半信半疑だったが、それが皆の力で出来たのである。今回の選挙ボードと並ぶくらいの成果ではなかろうか? 夕方からは、牡鹿半島を東に走った大原地区にて焼き肉、地元の皆さんに喜んでいただいた他、兵庫組、高知組も来所、夜遅くまで盛り上がった。久々に高知弁も聞きながら、生活センター台所にてシュラフに沈み込んだ。 


こんなに、おいしい肉初めてだ〜

かっきー5日目
今日は朝からカワイ兄弟と体育館の作業をしました。校舎のドアの取り付けを含め、中途半端だった部分を含め最後まで行えました。さすが本職の作業で良い仕上がりになりました!
せっかく知り合え仲良く慣れたカワイさんたちとも今日でお別れ。別れは寂しいですね…
午後からは牡鹿半島に行って炊き出し作業をしました。
ここの地域は炊き出しの人があまり来られないとの事で料理を大変喜んでくれました。地元の人や神戸や新潟からきてるボランティアの人たちともたくさん話出来てすごく良い時間が過ごせました。
あしたはここでの作業。最後の作業になります。せいいっぱい頑張ります!!


この日行った牡鹿半島の大原地区は自衛隊の炊き出しなども届いておらず、毎日、おにぎりやパンやインスタントラーメンが届いていました。そんな大原地区の区長さんにも「久しぶりに暖かい夕食をみんなで食べれました。震災以来初めての肉で、地域のみんなの笑顔が集まるといいですね」と喜んでもらえました。
by Naoya  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 09:06Comments(3)

2011年05月26日

続:選挙看板リサイクル 2011.5.26.


カッキー(左)とコージー(右)は大工仕事をテキパキこなす

コージィ4日目
今日は午前午後と体育館と校舎側のドアの補修を行った。午前午後と連続で作業出来たので効率良く進んだと思う。
大工さんが中心での作業だったので、かなり良い仕上がりになった。被災者の方も喜んでくれているのでやりがいを感じる。
夕方の炊き出しでは、大工のカワイさん兄弟やチーム神戸の人たちも参加してくれて楽しい時間が過ごせました。なにより炊き出しを食べた人たちが笑顔になってくれるのが嬉しい。石巻の人たちとも、少しづつ繋がっていけてると実感出来ています。
今日は、湊小で仮設のお風呂に入らせてもらったので、とても気持ち良くて疲れも吹っ飛びました。やっぱりお風呂は有難い。明日からの作業も元気いっぱい頑張れそうです。

くりちゃん(サシャ)です。
26日。3回目のバーベキュー(いつもの宮崎牛と地鶏)を行いました。

今回の会場は、町の真ん中にあるライフハウスの下でした。和田さんというライフハウスのオーナーは、私の宮崎のサーファー仲間の友たちという繋がりがあり、バーベキューさせてもらいました。バーベキューの参加者は、和田さんが今住んでいる避難所の方々と、会場の近所の方等が来て、音楽を流しながら生き生きなパーティーのような雰囲気でした。被災者の皆さんは大変な苦労をするなかで、少しでも元気を与えることができて良かったです。
また続きに!


新燃岳の噴火で被災した高原町のキャベツも大人気

グッさんは
グッすり眠れました、久々に。本日は、民家のドロかきに行く予定だったのですが、長い待機中の後にキャンセルとなり、体育館の5つの大穴塞ぎの仕上げとなった。計画がなかなか予定通りにいかなかったり、変更になったりでせっかくの時間がムダになるのは残念である。自衛隊さんの昼食は楽しみだし美味しい。夕方からは、学校を右折して出て、次を左に曲がり、小さな橋を2つ渡ったところで焼き肉でした。夜は、学校に特設された「希望の湯」に入浴出来るとのことだったが、こちらにいる間は風呂には入らない覚悟と支度で来ていたので、歯磨きの後9時には早々と、マウスピースをくわえてシュラフへと潜り込んだ。昨年の四国お遍路さんで、いくら疲れても眠れないことは経験済みだったが、同じ場所での宿泊で慣れたのだろうか? でもどうやら場所替えみたいです。


てげうめ〜「みやざき食堂」は大好評

かっきー4日目
今日は朝から大工兄弟のカワイさん達と一緒に体育館と校舎壁の穴を選挙用パネルでうめていきました。
それまでビニールシートやコンパネ、段ボールなどで塞いでただけの壁だったので、被災者の方喜んでいただけました。
夕方からは近くで炊き出し。本日も宮崎牛と地鶏などを準備し大好評。みんな「おいしい、おいしい」と言って、何回もおかわりしていました。
今日は作業の中でも炊き出しのときでもたくさんのボランティアの方々とお話ができました。
全国各地からきていて、やっぱり「何かしたい」という思いの方々です。交流していき、ますます活動の意欲が強くなりました。
明日もみんなと一緒に頑張ります!


チーム宮崎に飛び入りボランティアもあり素敵な夕食でした  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 21:15Comments(0)

2011年05月25日

5/25 石巻市の床はがしと南三陸で「みやざき食堂」

文責:小玉直也 宮崎幸司 原口大輔 柿並興昌

〜なおや〜
この日は石巻市での床下にたまった泥を搬出するための床はがし
被災者の自宅までの移動は歩いていくか自転車でいくか
漂流物の釘などが出ていて毎日パンクが耐えないらしくパンク修理をし続けるボランティアもいる

サシャと私は昨日のバーベキューの片付けに別便
すると近所済んでいる60代の男性千葉さんが「家族3人でぜんぜん進まないからボランティアにお願いしたいのですが、どこに相談したらいいのですか?」自宅を見に行くと

てもボランティアの手に負えない状況で重機でひっぱりださないといけない感じでした

その後、南三陸町へ畳を届けた仮設住宅へ炊き出し
口蹄疫や鳥インフルエンザや新燃岳で被災した牛や地鶏やキャペツをもって、被災地から被災地へ「みやざき食堂」


くりちゃん(サシャ)です
最近経験した、感じたこと。

25日。初めて南三陸に入りました。町の一部は完全に津波に平らげられたところで、人の家は地盤まで流されました。男性の被災者の方が自宅の跡に連れてくれて、「ここは玄関、ここは階段だった」等説明しました。家族は無事だったけど、老人ホームの職場が流されて、ほとんどの利用者が亡くなりました。これから、新しい生活作りです。


コウジィ3日目
今日は朝、湊小避難所で生活されているおじいさんに震災当日の話を聞かせてもらった。地震の後、津波警報が出たので外に出たところ、最初はちょろちょろと流れてきた海水が気がつくと、身長以上の波となって押し寄せてきたそうです。たまたま家と家の間の狭い路地に入れたのでそこから屋根までよじ上り難を逃れることができたそうです。その後の光景は、どんどん車や瓦礫などが流されてきて悲惨な状況続いたといった話を聞かせてもらい津波の恐ろしさを改めて感じました。
作業としては、午前中は石巻で床下の土砂除去のための床板剥がし、午後からは南三陸町での炊き出しを行った。
午前中のお宅では、その家で生活されているので一階部分の復旧が必要だけれども、建築屋さんも手が回らないのでいつになるか分からないとのことでした。午前中だけの作業だったけど少しは役立てたような気がします。
午後南三陸町に入って見た光景は、瓦礫しか残っていないようなほんとに悲惨な状況でした。何年後、何十年後とこの状況を忘れないためにも少しでも多く被害箇所を残してほしいと思った。そして、多くの人にここに訪れてもらいたい。
まだ3日目なので、明日からもきあい(気愛)でやっていきたい。

ぐっさんの石巻レポート
本日はまず、避難所貸し出しサイクルにて、午前中作業のスタートです。今回のボランティアで、私が一番想像していた、民家床周りの作業です。 昨日のザ•タッチ兄の先導で現地到着、床板を外すと、やはり床下にはドロが堆積しぬかるんでいました。私たちは玄関脇のリビング約十畳分を剥がしたのですが、午後からの南三陸町遠征もあり、ドロの除去は後続部隊にタッチしました。自転車での往復は、途中ジャリ道、水没箇所ありのデコボコですごい砂煙り、おまけに信号機が機能してないところもあり、警察官が立っているという、短いながらも危険な道のりでした。今日の避難所での昼食は何やろかな? あー「綾小路きみまろ」でした。昨日は自衛隊の方々の炊き出しをお裾分けでいただきました。カレーライス、サラダ。焼き肉風、ヒジキ、ティラミスもあり、おまけはテイチクレコードの歌手でした。 今日はいただけなくて残念、てな思いで南三陸町へと出発。途中通行止めがあり迂回して、やっと現地入りすると目を覆うばかりの光景でした。架設の橋を渡りしばらく進むと、テレビでも再々紹介された南三陸町役場の骨組みが目に飛び込んできました。私には原爆ドームが連想されました。まさに水の爆弾、「水爆」です。周辺は、原爆投下直後の写真そのものです。 役場の骨組みに絡んでいる無数の漂流物は、限りない悲しみに感じさせました。バーベキュー開催場所付近も、仮設テント、にわか作りのお風呂と、まさに戦後でした。



かっきーです。
今日は朝から被災された方の家の床はがしに行きました。
自宅までは避難所で借りた自転車で移動しましたが、まだまだ手つかずの家も多く大変な状況がよく分かりました。そんな中でもコンビニが営業を再開してるのを見て着々と前へ進んでるんだなと感じたとこです。
作業は慣れないながらも行い、3時間ほどで完成!ご主人も喜んでられました。
ご主人は車で避難しようとしたところ渋滞だったため家に帰った途端に津波が襲ってきたそうです。
車に乗ってた人はそのまま流されてしまったとのことで、まさに紙一重だったとのことでした。

午後からは南三陸町へ炊き出しに行きましたが、途中車から見る景色は衝撃的。テレビで見たように家が丸ごと無くなり瓦礫だらけのところがいくつもありました。実際の状況をみると津波の怖さ、そこに住んでる人の悲惨さをより強く感じました。
しかし、炊き出しに行かせていただいた地域の人はみんなで協力し支えあいながら暮らしています。
自分も被災された方々が周りのために一生懸命動き回られている姿は、私たちが宮崎に戻っても見習っていかなければと思います。

明日は三日目。久しぶりの肉体労働で明日は筋肉痛かな…(もしくは明後日)と思いながらも、あと残り3日。頑張ります!  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 23:35Comments(0)

2011年05月24日

5月24日 選挙候補者ポスター掲示板リサイクル

文責:小玉直也 宮崎幸司 原口大輔 柿並興昌 サシャクリンガー

いよいよ選挙看板のリサイクル 〜なおや〜
石巻市湊小学校では津波で押し流されてきた車などが衝突して体育館の壁が崩壊してました。ゴールデンウィークの時には気づかなかったのですが、その崩壊した壁を段ボールやブルーシートで覆っていました。

そこにしっかり壁を作っていく。NPOみやざきSKC代表の佐藤さんが建設会社の社長なので、寸法を測って骨組みを作り完璧な仕上がりに。

NHKと毎日新聞の取材をうけ、NHK宮崎放送局と宮城放送局で紹介されました。
選挙看板のリサイクル。宮崎市で800枚なので全国では数十万枚の規模で廃棄処分されたもの。
現地ではベニア板一枚を手に入れるのに具材がなくて四苦八苦している。これをいい教訓にリサイクルをしていきたいものです。

その後、夕方から「みやざき食堂」被災地から被災地へを開催

湊小学校から車で南西に10分くらいの所に、電気、水道などのライフラインが全然きていない地域があり、そこに新潟の中越沖地震でもお世話になった、神戸ヒューマンシールドの吉村さんから応援要請があり、宮崎ハーブ牛、軍鶏の地鶏っこ、高原キャベツで炊き出し。被災地から被災地へ「みやざき食堂」

おいしい食材に舌つづみする被災者や全国からのボランティア

子どもたちとのふれあい、ギターで歌ってみんなで大合唱。
今日もいい交流ができました。
この神社の境内も津波で車や瓦礫で埋もれていたけど、全国からのボランティアがいっせいにクリーンアップ作戦をしていったそうです。約50人の炊き出しでしたが、笑顔あふれる夕食になりました。



被災地ボランティア1日目無事完了のグッさんです
やはり、初日から効率的な仕事運びは難しい、を実感。ただ、選挙看板が10枚ほどだけど、有効に使えたのはよかった。夕方からの第二部は、車で5分ほどの神社境内でのバーベキューだ。 看板作業でお世話になった、大工の棟梁と美容師の激似のザ•タッチもご一緒に。途中の道沿いは、目を疑うばかりの光景の連続だった。ガソリンスタンドにも車ではなく、家が入庫している有様だ。第二部で私にとって一番良かったのは、同郷広島出身の方も参加されている「広島風お好み焼き」ボランティアに出会えたことだった。その方は現在、神奈川県でお店をされており、明後日にこの学校の近くで、40枚お好み焼きを焼くことが決まったらしい、見てみたい。一応連絡先は交換。 
昨晩は、初日より眠れなかった。というのも、第二部で、ビールやチューハイ、コーヒー、フルーツポンチ、とすすめられ調子に乗っていただいたので、小便に5回ほど起きたこと。ちなみに、ポンチのほうはまだで、サービスエリアのウォシュレットで済ませてからはご無沙汰です。やはり、毎日食べている自家製ヨーグルトが食べられないのが一番きつい。きついと言えば、入浴できないこと、と思っていたが意外と凌げるものです。こまめに着替えたり、使い捨て体拭きタオルを使用、何よりこちらは、夕方からぐっと冷え込むのが、むさ苦しさを抑えてくれる。三日目の朝もやはり、裏のお寺の墓地で、車がお墓の上に乗っかっているのが気になる。「坂の上の雲」は好きだけど、墓参りの好きな私には、「墓の上の車」は早くなんとかしてあげたい気持ちである。  





コージィ2日目です。
今日は朝目覚めて体が多少痛んだ。音楽室で床に寝袋を敷いただけだったからだろう。やはり畳に布団を敷いて、ゆっくりと眠りたいと思った。昨日は暗くなってから到着したため、周りの景色が分からなかったけど、朝外を見るとお墓に車が何台も突っ込んでいて、まだ整備されてない場所もまだまだ有るのだと感じた。
今日は宮崎から持ってきた選挙用パネルが、体育館の壁の補修材料として使用された。今後もいろいろな用途で使用されれば、選挙用パネルのリサイクルが進んでいくと思うので、どんどん活用して欲しいと思う。
炊き出しを行った明神社付近は電気も水道も復旧されていない場所みたいで、瓦礫が山のように有り津波の脅威を感じさせられた。ここでは炊き出しに来られたおばちゃんが、夜はまだ被災直後が思い出されて眠れないけど、今日はたくさん元気を貰ったと言って笑顔で帰っていかれた事が、自分自身も元気になれてとても嬉しかった。





かっきーです。
今日は8時から作業を開始しました。
作業としては宮崎から持ってきた選挙用パネルを、壊れた体育館の壁の補修に使用するものでした。
愛知から来てるカワイさん兄弟のチームとも一緒に作業し8割方ぐらい完成。佐藤さんやカワイさん兄(大工さん)の本職の仕事に感心しながら手伝っていきました。
ちなみに弟さんは美容師で、避難所のかたの散髪をされてるそうです。
夕方からは近くの神社で宮崎牛や地鶏、キャベツなどを使って炊き出しを実施。近所の方や、周辺でボランティアに来られてる方々がたくさん来て下さいました。
まだまだ作業1日目。明日は被災した住宅の土砂撤去。午後からは南三陸町で炊き出しをする予定です。
頑張ります!




サシャですニックネームは、苗字のクリンガーからくりちゃんです。
グーテンタグ。独逸人宮崎チームメンバーのサシャです。
宮崎からわざわざ東北まで行って、ボランティア活動に宮崎の繋がりがあったほうがいいと思って、宮崎の美味しい食べ物持って行ってバーベキューしようと結論出して、昨日は初めての被災地応援バーベキューを実施しました。
現場は、瓦礫にど真ん中にある神社でした。そして料理所は大きな古い松のご神木に囲まれて、地獄の中の神聖なオアシスのような雰囲気でした。
参加者は近所の方もボランティアも含めて50人位、宮崎牛や地鶏は初めて食べた方が多くて、美味くて皆もぐもぐ食べていました。全員大喜び、感謝してくれた。宮崎チームの被災地応援計画大成功。
被災者とゆっくりと話す機会だったため、いろんな人の話が聞かせてもらいました。やっぱり、全体的な雰囲気が前向きで、ポジティブであっても、人それぞれは大変な思いでをしたでしょう。

とくに一人のおばさんの話がなかなかインパクトが強かったです。彼女は若いころブラジルに移住して15年間住んでいました。あるドイツ人に縁談されて、断ったけど、ずっとドイツに興味があったと言いました。日本に帰ったらずっと仕事をして、お金をためて、退職したらある友達とドイツに行く約束をしました。そろそろ行こうという頃になったら、震災が起きて、友達も夢も流されました。

ちなみに、自分のブログも書いていますので、ゴールデンウィークのボランティア経験を読んでください。ビデオもあります!

http://saschimi77.wordpress.com/

ドイツ語・日本語両方で書いているので、ドイツ語の勉強になりますよ!  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 22:21Comments(2)

2011年05月23日

無事到着しました!

文責;宮崎幸司 小玉直也 原口大輔 柿並興昌

初投稿のカッキーです
宮崎出発から28時間、石巻町の湊小学校に到着!皆さんお疲れさまでした。
運転以外はほぼ爆睡してたような気がします…
福島県に入ってからは道の凹凸が激しく、警察や自衛隊車両と頻繁にすれ違うようになりました。いよいよ被災地に近づいてきた実感がしてきました。 
23日、19時30分頃到着し食事にでかけましたがそのお店が昨日から営業を再開したと言われ復興が進んでいる事を感じました。
明日からは本格的な作業です。がんばるぞ!

初投稿のぐっさんです
最年長の55歳なので、なんとか皆さんの足を引っ張らないよう頑張ります。出身は広島なので、出発から広島宮島SAまでを含め運転にはかなり貢献出来たかな。福島に入ってから高速道の痛みが顕著でした。石巻に入ったのは18時半くらいだったのですが、すでに薄暗く、宮崎よりも一時間ほど時間がずれてる感じです。たくさんの皆さんの協力で、ここまで無事持ってこられた選挙看板をなんとか有効に使えればいいなと思いますが、ちょっと心配です。現地でのニーズが刻々と変化していくのは仕方のないことでしょう。宿泊先の湊小学校二階音楽室に入って、まず指摘されたことは大声で話さない事、ついつい、うっかりで気遣いを忘れてしまう、ここは被災者の方達の避難先なのだ。長旅の疲れもあった、早々と寝袋に潜り込んだ。 

なおやです
ゴールデンウィークに後ろ髪を引っ張られるように後にした石巻市立湊小学校に到着。
前回は30時間かかりましたが、今回は28時間で到着。しかも、事故防止のため運転免許取得して3年以上の人が運転するようにしていたので、前回は1900kmの70%くらいを運転しましたが、今回は20%くらいで助かりました。特にぐっさんありがとう。
約2週間ぶりですが、町中が見違えるように変化していました。津波で流された車や瓦礫が少しずつですが、撤去されている。
小学校のプールに2台の車が逆さまになって衝撃をうけましたが、これも撤去されていました。
すごい勢いで復興への一歩一歩がすすんでいると実感。
さ〜明日は朝一から選挙看板を再利用の作業です。
この日の石巻市湊小学校の音楽室は14人宿泊。全体のボラティアの数はゴールデンウィークと比べると随分少ないです
おやすみなさい。

手前カッキーと佐藤さん とブログ入力中のぐっさん


初投稿コージィです。
22日の夕方に宮崎県を出発し、トラックとバンの2台で6人が運転を交代しながら28時間かけてようやく宮城県石巻市に無事到着しました。宮崎を出発後、まずは高原町で新燃岳の噴火のため、わずかに無事だったキャベツの苗から立派に育ったおいしそうなキャベツを受け取り、以前は被災地だった高原町から、感謝の気持ちと一緒に宮城県まで運ばせてもらいました。
福島県に入ると地震の影響からか急に道路状況が悪くなり、警察、消防、自衛隊等の車両がぞくぞくと行き交うのを見て、被災地に来たのだと実感しました。しかし、石巻市に入り想像していたよりも瓦礫の状況などが片付いていた事には驚きました。
今日はとりあえず、長旅の疲れをとって明日からの作業に備えたいと思います。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 23:26Comments(0)

2011年05月23日

3度目の支援に出発!

3月22日出発で宮城県へ支援物資をもって出発しました。
出発式の模様がNHK18:45〜(宮崎版)、翌朝7:45〜(九州版)で放送予定です。
新聞は22日付けか23日付けの朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、西日本新聞、共同通信社が配信予定です。

昨日まで多くのボランティアのがんばりで押しピンやポスターが外された選挙の候補者掲示板をリサイクルするためトラックに積み込みました。


あいかわらず、照れくさそうにNHKのインタビューに答えるNPO代表の佐藤光輝
はきはきしゃべってよ〜


出発してから1時間、高原インターで降りて
新燃岳の噴火で被災したキャペツを200kgピックアップ
農家の藤井さんが精魂込めて作ったおいしそうなキャペツを購入してきました。
藤井さんは、お忙しいようで、紹介していただいた有田さんがもってきてくれました。

さ〜
いよいよ出発します。
文責:小玉直也  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 12:28Comments(0)

2011年05月22日

みんなでボランティア

ホームページもご覧ください
http://www.npomiyazaki.com/

文責:小玉直也&平山果歩

この日は先のいっせい地方選挙で使用されたポスター掲示板を再利用するとりくみです。
現地の避難所では教室や体育館などに被災者が段ボール越しに身を寄せています。
前回ゴールデンウィークに使用済み看板のサンプルを持っていっていたのですが、現地のスタッフから段ボールの間仕切りではプライバシーやイビキに悩まされている人が多いのでぜひ使いたいということでした。
しかし、候補者ポスターや押しピンが刺さったままになっていたので、これを外す作業をすすめました。

鵬翔高校サッカー部から松崎監督、宮崎コーチ含む71人が参加

押しピンを丁寧に拾っていく、現地で子どもたちを含む被災者が怪我しないように


大塚サッカースクールから村山監督とチームの小学生15人と保護者も多数参加していただきました。

みんな一生懸命やってましたよ!


もくもくとはがしていく、その気持ちが石巻に届くように…

それにしても、これだけの人数がいると、みるみる進んでいく。


手前の2人は、まきのせさん夫婦。先週、夫婦で石巻に物資を届けて帰って来たばかりです。長い道のり、おつかれさまでした。無事故で良かったです。


ひらっちです!
5月22日から第3回目の現地支援活動部隊が出発するにあたって、宮崎県で作業をしました。
避難所の間仕切りとして使用する、選挙ポスター用の掲示板から画鋲やポスターを剥がしていく作業です。
報告会の日と同じことを大人数でやりました。
この日は、鵬翔高校のサッカー部や小学生のサッカーチームなど、計111名が集まりました。
人が多いと作業が早く進みます。
小学生も一生懸命画鋲を抜いていました。
こうやって、これからも地域の方と繋がっていきたいです。
協力してくださったみなさん、本当にありがとうございました!


薄暗くなるまで、がんばっていただき、ありがとうございました。
日曜日出発でこの看板を届けてきます。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 21:37Comments(0)

2011年05月20日

ボランティア募集のお知らせ


次回の被災地支援に22日出発します。
それに先駆けて、現地へ届ける物資の作業のボランティアを募集します。

先のいっせい地方選挙の際に使われた候補者掲示板用の看板が全国で数千万枚廃棄されてきました。
宮崎でも選挙看板が廃棄処分となったのですが、NPOみやざきSKC(災害救援センター)の代表佐藤の発案で処分せずに残してありました。
前回、宮城に支援に行った際にこの看板をサンプルで1枚持って行ったのですが、現地のボランティアセンターから避難所での間仕切りが段ボールになっていて、プライバシーやイビキになやまされている方が多く、この看板を活用し間仕切りに使いたいとの連絡がありました。

しかし、候補者のポスターが張られたままであったり、押しピンなどがあり、とてもこのままで持って行けるようなものでは無かったので、ポスターと押しピンをはがそうとなりました。
そこで、この間、報告会の後などに呼びかけ、連日高校生や大学生など市民も参加してやってきたのですが、なかなか膨大な量があり進まず、とりあえず明日の土曜日の17:00〜18:30にぜひボランティアをして頂きたいと思いお知らせしました。

場所は宮崎市北川内町中岡5001(佐藤建設作業所にて)
南宮崎駅から西に2kmほど行くと左手に「COOPかおる坂店」がありその次の信号を右折して数百メートルで「なごみうどん」があり、そこの100m先の右手上に佐藤建設の看板があるので、そこをめざしてください。

各自、軍手とマイナスドライバーを持ってきて頂けるとスムーズに進みますのでお願いします。
ご不明な方は下記まで連絡下さい
080-3371-8133 小玉直也  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 08:47Comments(0)

2011年05月20日

ボランティア報告会(5/15)

初投稿、めぐみです!
報告会では司会を務めさせていただきました。
報告会には、高校生から大人まで、およそ20人ほどの方々にお越しいただきました。
ありがとうございました。
被災地に行ったメンバーが撮影した写真がたくさんたくさんあって、1つ1つご紹介できなかったのが残念です。

私自身は被災地には行っていません。
被災地に行ったメンバーのプレゼンを聞きながら、東日本大震災の残した悲惨な傷痕に、胸が痛くなりました。
家を失い、大切な人を失い、仕事を失い、それでも別の場所へ逃げることもできず、そこで懸命に生きている方々を思うと、
自分がしていることにどれほどの意味があるんだろう、とも思います。
それでも何かせずにはいられないし、私は学生なので時間もあります。
震災の記憶は消えないかもしれませんが、少しでも被災者の方々の力になりたいと思います。

これからも、あちこちで報告会を開催する予定です。
私たちが活動を通して見たこと、感じたことを、たくさんの方々と共有したいと思っています。
近くの会場で報告会を開催する際には、ぜひ足をお運びください。

ひらっちです!
宮崎市民文化ホールにて今回の活動の報告会を行いました。
この日は朝から、それぞれのプレゼンで使用する写真を選び、昼から会場へ向かいました。
予想よりも多くの方にお越しいただいて、本当によかったです。

特に今回、自分とタカと翔子は初めてボランティアに参加しました。
学校や会社に通いながら何度も何度も現地へ行くのは正直、難しいことです。
ごくごく一般的な大学生や社会人だからこそ出来ること…
それは、自分たちと同じ境遇の人に、一歩踏み出す勇気を与えることだと思います。
「何か協力したい」と思っている人はたくさんいるでしょう。
自分たちが現地へ行って見たことや感じたことを伝えることで、支援の輪を広げていけたらいいなと思いました。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 01:45Comments(0)

2011年05月19日

報告会〜間仕切り作り

投稿者 まさき

5月15日 
宮崎市民文化ホール 大会議室にてゴールデンウィークに被災地支援に行ってきたメンバーの報告会が開かれました。メディアでは取り上げられない情報や映像を目の当りにし、切に心が痛むと同時にもっともっといろんな形で被災者の力になりたいと考えさせられた時間でした。



報告会の様子


報告会の後はボランティア活動をしました。その場で参加メンバーを募り、
佐藤建設の作業所に向かいます。

今回の活動は、選挙のときに立候補者のポスターを貼っていた看板を利用して被災地の避難所の間仕切りをつくろうというもの。この場での作業は看板に貼ってあったポスターを一枚一枚剥がしていく作業。

なーんだ、ポスター剥がすだけか、簡単そうにひひ
そう思うでしょ?いや、これがなかなか重労働なんです。

ポスターは画鋲でとめられています。この画鋲を一つ一つ抜いていく訳です。「これ取れなーい」とか「この人のポスターいつも頑丈に留められてるよねー」とか言いながら次々とポスターを剥がしていきます。被災地で活動しているボランティアの方は、私たちが選挙の看板を間仕切りに使えないかと提案したところ、ポスターは剥がさなくていいよとおっしゃったそうです。でも、避難所暮らしで疲れていてストレスも溜まっているのに、壁一面に立候補者の顔写真ときたらもっとストレス溜まります。何十枚もの顔が自分たちを見つめてくるんですからねガーン

一旦、間仕切りを組み立ててみました。
どんなのができるのか自分たちで理解しておくほうが作業に熱が入るひらめき電球
こちらが完成図

この中には3組の避難者の方が入れます。手前の広いスペースがおっきな家族用。奥の2つのスペースは少人数用です。現在、避難所では段ボールで仕切られており大人が立てば仕切りの向こう側が見えてしまいます。でもこの看板なら高さもあるし、話し声もある程度聞こえなくなるでしょう。

あとはこの壁をどうやって体育館の中で倒れないように立てておくかDASH!

んー................思いつかないガーンあとは建設会社の社長サン達、お願いしますにひひ


5月19日(木)、21日(土) 17時ー18時半
上記の時間帯でポスター剥がし作業を行っています。お時間のあるかたは是非一緒にやりましょう。

5月22日(日)ー29日(日)
宮崎から宮城に再出発します。活動の様子はここのブログにアップされていくと思います。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 02:39Comments(2)

2011年05月10日

東日本鰢台震災ボランティア報告会 のお知らせ

ゴールデンウィーク中に被災地支援に行ってきました。

現地では目頭が熱くなる中、被災者の要請に応えたり現地で奮闘しているNGOやNPOや社協のボランティアセンターに登録して頑張ってきました。

メディアでは一面的にしか報道されていないものを目の当たりにして来たので今回、下記日程で報告会を開催します。

次回は5月22日から被災地支援に出発するので参加してみたい人の参加も大歓迎です。

また、現地に送る物資の作業もあり当日のボランティも募集しています。
参加出来る時間だけでもいいのでぜひとも足を運んで下さい。

日時 5月15日(日) 13:00〜 報告会
場所 宮崎市花山手の市民文化ホール大会議室

そのあとのボランティアは報告会の会場から車で5分ほどのところに移動して2時間ほど作業します。
人手が足りないので、ぜひともご協力ください。
ご不明な点があれば下記まで連絡ください。

小玉直也 090-8301-1123  

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2011年05月07日

活動最終日in石巻

医学部3年ありま
5月7日は昨日が遅かったため、朝遅めに栗原を出発して昨日の石巻の活動場所に着いたらもうだいたい残りの部屋も終わりに近く、午前中にこの1件が終了しました。
午後からアパートの床下のヘドロ撤去の作業をしました。

角スコップ、土のう袋を持って、床下のヘドロをなんとか5時までに5部屋取り除くと、そこの大家さんはとても喜んで下さってとても達成感を感じました。
夜は体育館でパキスタンのボランティアが作ったカレー&ナンをいただき、ジョンのギターにあわせて、みんなで歌を歌いました。
被災者の人たちの涙につられて泣いてしまいました。
子どもたちが手話付きで歌ってくれたのにはもう号泣でした。

本当1日でも早く震災前の生活が戻って欲しいです。
この日、私たちとは別のボランティア団体のみどりと出会い、意気投合!?(笑)しました。
彼女はまだ一時、東北にいるみたいで、同い年でこうやって一生懸命頑張っているみどりから気合いをもらいました。
みどりと出会えた今日を忘れず、これからも仲を深めていきたいと思います☆
本当この活動に参加できてよかったです!!!
今回私たちができたことはほんのちっぽけでしたが、これからいろんなかたちで活動を続けて積み重ねていきたいと思います!!
長いようで本当あっという間の1週間でした。
今から助手席でドライバーのフォローをしながら帰ります!!!  

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2011年05月06日

土砂撤去作業(5月6日)

ひらっちです!
今日は8時に出発し、MSF(国境なき医師団)さんのお手伝いとして、宮城県合同庁舎から近くの体育館に毛布を移動させるという作業を10時半まで行いました。4tトラックが2往復するほどの量でしたが、全て運び出すことができてよかったです。
その後すぐに、人不足と言われている石巻市に向けて出発しました。
石巻市のボランティアセンターがある湊(みなと)小学校に到着したのは13時前でした。

今日自分たち7人が依頼されたのは、住居の中の家具や土砂を撤去する作業です。
津波の襲撃以来全く手がつけられていない様子で、当時の悲惨さと被災地の復興が遅れているという現状を目の当たりにしました。
家具が土砂にまみれていて、割れたガラスが飛び散ったり、想像以上に重労働でなかなか思うように作業が進みませんでした。半日で終わらせられたのは3分の1程度でした。
メディアではボランティアが殺到すると言われていましたが、実際はその逆で、少なくとも石巻市は間違いなく人不足でした。信号が点かず警察官が交通整理を行っている交差点や、壊れて通れない道路、そして何よりも、震災が起こってから全く手つかずの家屋。これらが石巻市の現状を物語っていると思います。
震災から約2ヶ月、「まだ2ヶ月」なのか「もう2ヶ月」なのかは人それぞれでしょうが、復興にはまだまだ時間がかかるでしょう。たとえメディアで宮城県や福島県などのことが取り上げられなくなったとしても、最後まで復興の協力をし続けていくべきだと思いました。

真面目そうなことばかり書きましたが、今日の夜は岐阜県の中津川から来たボランティアチームの方から焼き肉を頂きました!
夜の気温は9℃ととても寒かったですが、みんなで火を囲って食べる焼き肉はめちゃくちゃ美味しかったです。白飯も炊いていただき、温かいご飯を食べられる幸せを噛みしめながら、至福の時を過ごしました。

さて、明日で活動はラストです。最後までやり切って宮城県を発てるよう、ラスト1日頑張ります!  

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2011年05月06日

初めての力仕事!!

5月6日の午前中はMSFさんと栗原市合同庁舎にある130箱の毛布の物資を旧月館高校の体育館に運ぶ作業をしました。初めての現地での力仕事にあたふたしました。
全部運んでから、そのまま石巻市に走りました。
石巻市の湊小学校の手前付近から被害がすごく、思わず涙が溢れてしまいました。
被災者からの要請で津波でヘドロだらけでぐちゃぐちゃの家の瓦礫撤去を頑張りました!
思った以上の臭いと瓦礫に無我夢中になりながら、やっと3部屋中1部屋を終わらせて本日の作業を終了しました。
昨日までのカフェでの活動と180度一転した力仕事でした。
直也さんが栗原のMSFの本拠地にまさかのPCの忘れ物をとりにこれから2時間頑張ります(笑)  

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2011年05月05日

仕分け作業(3日目)

ひらっちです!
今日は昨日の午後と同じく名足小学校で衣類の仕分け作業の予定でした。
7時過ぎにホテルを出発し、9時に名足小学校に到着しました。
3日、同じ道を通っているのですが、日毎に片付けられていくのがよくわかりました。
トラック8t分の衣類が到着する予定でしたが、それが全て新品で仕分けの必要がなくなり、急遽歌津中学校に移動して区画整理の手伝いをすることになりましたが、歌津中学校に到着したら伊里前小学校で仕分けが済んだ段ボール箱の運び出しの作業を頼まれました。
段ボール箱の運び出しだけだと思いきや、まだ仕分けされていない衣類が発見され、衣類の仕分けをすることになりました。

結局今日中に終わらすことはできましたが、もっと効率良くやればもっと早く終わらすことが出来たんじゃないかと思うと、改善点をみんなで洗い出して、今後に活かしていけたらいいなと思います。
歌津中学校あたりを仕切ってらっしゃったアベさんとも今日で会うのが最後ということで、涙の別れもありました。
明日はMSFの方と一緒に毛布を運んだ後、石巻市に入ります。
石巻市はまだ人不足なようなので、明日は少しでも力になれるよう全力で頑張ります!
最後に、伊里前小学校の校庭から見た風景です。
  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 23:58Comments(3)

2011年05月05日

石巻市と仙台空港

ショウコです!
昨日は、石巻市の湊小学校に行きました。
行く途中に商店街を通りましたが、津波の被害でほとんど営業していませんでした。
信号もまだ復旧しておらず、警察官が交通規制をしていました。
湊小学校に着き、集められた瓦礫と土砂を分けるという作業をしましたが、その土砂の中にはやはり色々な物が混ざってました。
メディアではボランティアが多過ぎて人手が余っていると報道されてましたが、それは間違った情報だと思います。
石巻市は全く足りていないと感じたのが正直な感想です。
午前中は5人で作業をしたのですが、すごく地道な作業でほんの一部しか片付きませんでした。
今の状態だといつになっても片付かないと思います。
私は仕事の関係で昨日の夜に宮崎に帰ってきましたが、仙台空港に行く途中に見た光景も衝撃的でした。
戦争でもあったのか?と思う程、ひどい状態でした。
本当に全てなくなっていて、あったのは瓦礫の山や、めちゃくちゃになった車の山でした。
上空から見た仙台空港付近も更地状態で、信じ難い光景だったけどこれが現実なんだと考えると言葉が出てきません。
絶対にまたボランティアに参加しようと決意しました。

今回は仕事の関係で先に宮崎に帰ってきましたが、まだ残っている佐藤さん、猪股さん、直也さん、梶さん、平っち、ありまー、ソウタロウさん、サシャ、ジョンは、被災地の方の為に頑張って下さい!

頑張ろう日本!!!  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 23:54Comments(5)

2011年05月05日

国境なき医師団さんと一緒に活動(3日目)

5月5日は朝からMSFの臨床心理士さんと一緒にカフェに入り、コーヒー作り以外に看板作りなども任せてもらって、やりがいを感じながらお仕事出来ました!!
コーヒーもちょっと濃いっというお客様の要望を考慮して今日は薄めに作ったら、美味しいと言っておかわりして帰られました!
うれしいことがもう1つあり、78歳のおばあちゃんと話がはずみ、帰る時に『明日も明後日もあなたに会いにくるね』と言って下さいました。このおばあちゃんは、普段1人暮らしのため、カフェで誰かとお話が出来るから来るのが楽しみだとおっしゃってました。
しかし、急な変更でこのカフェでの仕事が今日で最後になってしまい、MSFの臨床心理士さん、ドクターさんをはじめ、おばあちゃんと一緒にいれるのが最後となってしまい、とても悲しかったです。出会いの後には必ず別れが来る事はわかってはいるのですが…
おばあちゃんにお手紙をかいて明日MSFさんに渡してもらおうと思います!  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 20:00Comments(1)

2011年05月05日

国境なき医師団さんと一緒に活動(2日目)

5月4日はお昼からカフェの手伝いをしました!
お昼時でお客さんがいっぱいかなーとやる気満々で入ったんですが…スタッフしかいなくてちょっと残念でした(T_T)
昨日いらっしゃったお客さんが『会いにきたー!』っとまた来て下さって、とてもうれしかったです。

お風呂施設の近くにあるこのカフェは、お風呂からあがって帰りによって下さるお客様がほとんどなんですが、なぜか昨日よりお客様数が少なくて…私が作ったコーヒーがまずかったのかな↓と心配になりました。
お客さんがカフェに置いている落書きノートに何か書いていたので、見せていただきました。
読みながら目頭が熱くなりました。
お客さんが喜ぶようなコーヒー、紅茶を提供できるように工夫していきたいと思います。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 19:27Comments(2)

2011年05月04日

ボランティアを通して

たかひろです。
僕は今日、最後の活動になりました。
石巻市で微力ながら被災地のお手伝いをさせてもらいました。
石巻市の街並みはとても悲惨な状況で、胸が痛くなりました。
瓦礫の分別作業にあたりましたが、
最初、瓦礫と泥と混ざったまま袋に詰めたりしてて
それを選り分ける作業をしました。

やはり、最初は効率よく作業されてなく騒然としてたんだろうと思います。
人手も全然足りてなく、まだまだ片付くのは遠いなあと感じました。
しかし、被災地の人たち、そしてボランティアの人たちの熱意など
強く感じ、時間はかかるが、必ず復興できると思いました。
僕たちは今日で最後ですが、宮崎の方たちはまだまだ活動します。
そして全国のボランティアの人たちはまだまだ活動するでしょう。
日本のみんなの力を合わせて、必ず復興しましょう!
僕もこの経験をして、これからも出来る限りの事をしていきます。
宮崎から応援しています!
がんばろう、東北。がんばろう、日本。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 23:56Comments(2)

2011年05月04日

仕分け作業(2日目)

カジです!
今日は歌津中学校で仕分け作業をしてきました!!
が、しかし.....
状況は刻々と変わります。
一日中、歌津中学校で活動予定だったんですけど、
午前中は歌津中学校、午後は名足小学校で手伝いをしてきました。

午前中...歌津中学校の体育館に集まっている支援物資の区画整理、
自衛隊から運ばれてくる物資の整理などなどしました。
思った以上に物資が集まっていて、本当はなにが必要なのか?
っていうのが全くわからない状態でした。
実際、懐中電灯、女性の冬服などは山ほど有るのに、
タオル、下着、などはなかったり、
ひとつの地区でこんな感じだったのに、
他の地区はどうなんだろうか??
まだまだやることはたくさんあるな。と感じました。

午後...午前中に2トントラック2台分に積み込んだ未選別の服と共に名足小学校の体育館で仕分けしました。
これが結構大変で....人数が結構いたのにキツい作業。
袋詰めになってる服を男性用、女性用、女の子、男の子、幼児って枠組みで、
さらに、夏用、冬用、Tシャツ、肌着に分ける作業があって、
分けた服をたたんで、箱詰めにして移動する.....
移動が思った以上にきつかったです。

明日は今日の2倍の作業ww
とにかくみんなと頑張ってきます!!!
ボランティアの方々と地元の方々と笑顔で触れ合えたり、
炊き出しとかの暖かさとかも肌で感じられる、ほんとに貴重な体験をさせて頂いてます!!!
あと3日、短い時間なんですけど笑顔で活動してきます。  

Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 22:41Comments(2)