2011年08月11日

8月7日 宮崎からのボランティアが活躍中!

文責:小玉直也
ブログのアップが遅くなりすみません。
毎日、睡眠時間が3〜4時間で4日ぶりに午前中パソコンをネットにつなぐ時間が30分作れたので、ブログのアップをします。
この間、いろいろ掲載すべきこともありますが、今回は初日に学生たちが感じたことをメールでもらっているのでアップします。

宮崎公立大学1年 坂東 春奈(19)
8月7日、午後から松島町の鳴瀬第二中学校で初めての作業を行いました。まず最初に、テレビで見るよりも生々しい様子に何も言えませんでした。鳴瀬二中では、一階の瓦礫やヘドロを手作業で外へ出しました。途中で松林も見に行きました。中学校の体育館が、凄まじかったです。バレー部の用具などが散らばっていて、私もバレー部だったからどんな思いで毎日使っていたのかがわかって息の詰まる思いだった。一瞬で、あんな風に変わってしまうのがとても恐ろしかったです。その思いを受け止めながら、今後の作業をしていきます。


脇田真澄です8/7
  今日は朝、夜行バスで仙台に着いたのち、電車で松原海岸まで行き、野蒜までは震災で電車が出なかったので、代行バスで行った。 そこでは、TVで見たのと同じ風景が広がっていて、言葉を失った。鳴瀬二中のガレキ撤去を行ったが、かなりきつかった。体育館などは手付かず状態でほんとうにひどいものだった。明日は午前中炊き出しのお手伝いをしたのち、午後から作業ということなので、頑張りたいと思う。


細田勇人 福島大4年
私は被災地を訪れたのは2回目ですが今回は実際に掃除や泥だしなどの作業をすることによって、テレビのニュースでは視覚でしかわからなかった現地の実情を手で触れたり鼻から入ってくる匂いなど五感をフルに使って感じることが出来ました。そして作業は思ったより大変で4ヶ月でここまで元に戻した自衛隊や警察の方々の対応力の凄さに改めて驚きました。
またここのボランティアの設立者である人の話を聞けて被災地じゃない人がここまで頑張ってくれてるのだから、被災地出身の自分はもっと頑張らねばならないと思いました。明日で自分は最後ですけど頑張ります!


松尾淳平 
今日は、ボランティア初日だった。東松島市にある鳴瀬第二中学校が現場だった。
海岸に近いこの中学校は津波により一階が壊滅していた。
この現場は行政の手がはいらない場所であり、自分の管理を自分自身でやらねばならないところであった。これからも危険な場所での活動は多いので気を引き締めて取り組みたい。


宮崎公立大学 一年   大西成美
今日初めて自分の目で津波の被害にあった現場を見ました。実際見てみると津波の強さがどれほどだったか分かりました。それは、今日の活動場所の鳴瀬第二中学校でも同じでした。明らかに海岸の砂であるさらさらした砂を教室から掃き出す作業を行いました。砂にはガラスの破片がまざっていてかき出す度に破片も沢山出てきて仕分けの作業も大変でした。ですが、私たちができるこういった細かいことも大切な仕事の一つだと思いました。明日からもこの気持ちを忘れずに作業していきたいです。


栗田有加
今日は午後から、鳴瀬第4中学校へ行き、ガレキや泥砂の撤去作業をしました。
学校の2F部分まで津波にのまれたということを聞き、現場を見て、5ヶ月経った今でもどれほどひどかったのか思い知りました。
掃除をした場所は、部活のユニフォームや、体育着などが保管されていた所らしく、海水に浸った状態のままでした。引き出しから出して海水を流し、ユニフォームを“ゴミ”として扱ったことは、仕方ないことだけど、とても心苦しかったです。
話によると、休憩で行った野蒜小学校では100人以上の遺体が見つかったらしく、その話を聞いたときは胸が痛かったです。
5感すべてを使って被災地での
貴重な体験ができました。自分たちの今置かれている場がどれだけ恵まれてているかつくづく感じました。毎日何不便なく生活できていることに感謝したいと思いました。
明日は3つのグループに別れて
活動なので、自分にできることを精一杯したいです!


久保田優介
今日は午後から成瀬二中でどろの撤去作業をした。六人でひとつの班をつくり、作業を分担し、自分たちはトイレとひと部屋を担当し行った。どろやコンクリート、ガラス、金属などに分け集め、グランドにすでに分けてある山に移した。
その作業が終わると、外に集められた物を分ける作業を行いました。


上井優花
今日被災地宮城に入り
被災地のリアルな現状を
目の当たりにして正直言葉を
失いました。成瀬2中の復興作業に当たり、自分の出来る事は精一杯したつもりです!被災地にいる間は少しでも被災者の役に立てるよう頑張りたいです!


伊藤実穂
 今日から宮城でボランティア開始
 仙台駅までむかえに来てもらって車の中で仙台の地震・津波被害についてのお話をちょっと聞きました。仙台は100万都市だけど被害が少なかったそうです。それは、高速道路が防波堤の役割をし、波が越えてこなかったことと、昔からの知恵で住民の人たちが高台の方に家を建てていたからとのことでした。
 やっぱり、その土地に住む人の知識というのは
とっても大事なんだなぁと思いました。
 そして、午後はなるせ第二中学校に行き、泥出し作業をしました。体育館を見て、衝撃を受けたけどまだまだボランティアを頑張らないと、という気持ちにさせてくれました。
 明日も頑張ろうと思います。


松井祐太
仙台は11時前。七夕祭で盛り上がる町並みを尻目に車でしばらく走る事1時間。
野蒜駅に到着。機能不全ではあるが。小玉さんの累積放射能が2日で12マイクロシーベルト。高いか低いか良く分からん。テレビ見いへんし。
だから臆する事無くボランティアに来れたのかも知れない。

曲がりくねった信号機を目にする。少し緊張する。少し宮崎公立大学生のボランティアの子達と交流する。彼らは真っ直ぐな綺麗な目をしている。見習わきゃな。

鳴瀬第二中学校の廃棄処理をお手伝いさせて頂く。言うまでもなく皆の感情のピークはその体育館にあった。体育館の時計は14時46分。
あの日の地震からこの学校の時は止まってしまったみたい。

もうこの校舎は学校として戻る事は無い、と聞いたが
この学校の歴史の最後に携わるに恥じない様なお手伝いをさせて頂こうと思った

皆同じ気持ちだったと思う気付くとあっという間に作業終了の16時30分。
海の風を使って練習するスポーツに従事する僕も、
この日の海岸から廃墟の隙間にかけて吹いた風には虚しさしか残らなかった。
明日も朝早いからカップ麺でも食ってさっさと寝ます。公立大の子は良い子ばっかやなぁ


公立大1年 樗木 真理
今日はボランティア初日でした。朝早く仙台駅についた時は本当にここが被災したところなのかと思うくらい市内が活気づいていて驚きました。しかし、田舎へ行くに連れて、津波の被害を受けたところを目の当たりにして、ショックで言葉が見つかりませんでした。 午後から鳴瀬第二中学校というところで、瓦礫撤去作業を中心にしました。トイレの瓦礫を撤去したのですが、終わったあとは綺麗になったのでうれしかったです。
あと、被災地とはいえどもお風呂にも入れて洗濯もできるので、そういったことに感謝しながら、これから頑張って行きたいと思います。


上村かすみ
8月7日(日曜日)
宮城に到着しました。
大阪からバスで宮城に向かい、交流センターに着きました。その後、作業へ向かいました。松島では最近まで生活していたと思えるような家が壊れある場所にないはずの船があり、テレビと見るのと実際に見るなとでは違い言葉を失いました。一番が体育館をみたときで卒業式を迎えるだっただろう場所が津波の影響で
体育館には木があり砂も入り言葉にするには難しいぐらいの状態で卒業式を迎えることができなかったこどものことを思うと胸が痛みました。
作業はトイレに入った砂の撤去をしました。信じられないぐらいの砂の量ガラスの量でした。
今日作業した場所が最初は道路も通ることができなかったけどたくさんの方々の作業の積み重ねで道路を通すことができたというお話を聞いて小さな作業の積み重ねが大きな仕事に繋がると思い明日からも頑張ります。


宮崎大学3年 安達めぐみ
鳴瀬第二中学校での時間は、あっという間に過ぎました。
男2人女4人の私たちに割り当てられたのは、4畳半ほどの部屋が2つと、小さな男子トイレ。
2つの部屋は、どちらも床には何もなく、棚に引き出しや瓦礫が残っているだけでした。
きっと、先に来たボランティアの方々が片付けたのだと思います。
それでも、床にはガラスの破片が飛び散り、壁には泥や葉がこびりついていました。
被災直後はどのような様子だったのか……想像もできません。

男子トイレを片付ける時に、あることに気付きました。
トイレのドアとおぼしきものが、天井の一角にはまりこんでいたのです。
「落ちてきたら嫌だなぁ」と思い、恐る恐るシャベルでつついてみましたが、びくともしません。
完全にはまっています。
その傍にある窓は、ガラスが外側に割れていました。
津波は、ドアを破ってトイレに侵入し、そのままドアを天井に打ち付け、更に窓を破って出ていったのでしょう。
恐らくは一瞬のうちに。
その凄まじいパワーに気付いた時、思わず足がすくみました。

トイレが片付いた頃、1つの部屋の片付けが終わっていました。
棚にたっぷり残っていた泥は全て掻き出され、床は作業前よりも綺麗になっていました。
私がトイレを片付けている間に、他の人が別の場所を片付ける。
これも“力を併せる”ということなんだと、唐突に感じました。

鳴瀬第二中学校は、この先もう学校としては機能しないそうです。
それでも、鳴瀬第二中学校を片付けることは無駄ではありません。
もし私の母校がこんな風になってしまったら、それはとても悲しいことです。
その上、「もう機能しないから」と有無を言わさず重機で解体されてしまったら……。
片付けている時、色んな物を見つけました。
授業中にとったノート、クラスの出席簿、部活のユニフォーム、思い出の写真。
誰かがこれらを探しているような気がしました。
もし何も手をつけないまま解体されていたら、きっと見つけられなかったと思います。
明日は別の場所に移動します。
今日したこと、感じたこと、言われたことを忘れず、公立大生と一緒に頑張ります。


鬼丸尚士 19歳
今日は東松島市の中学校で泥だしなどの作業を行いました。初めて自分の目で被災地の状況を見ましたが、自分の想像を遥かに超えていて言葉が出ませんでした。


公立大学2年 猪野宏樹
今日は中学校の片付けをしました。回りには変な方向に折れ曲がった信号機やぐちゃぐちゃになった体育館などを自分の目で見て改めて自然の強さを感じました。自分のできることは小さいですが今日やっただけでも綺麗にはなったので少しでも復興の役に立ちたいです。


宮崎公立大2年 安部幸紀
「私は何をしているのか。」
ボランティアとしての自覚がまだ足りていないとわかりました。
この場は遊び場所ではありません。
分かっていたつもりですが、ただの『つもり』だったようです。

小玉さんには迷惑をかけてしまいました。
他のボランティアの方にも多大なるご迷惑をおかけました。
誠に申し訳ありません。
自分の愚かさにただただ反省するばかりです。

ただ、くよくよする時間は私にはありません。
しかしもちろん、このような大切なことを忘れるつもりもありません。
今日のことを教訓として自分を戒め、明日からより精一杯頑張っていきます。
ご迷惑をかけてしまった分を取り戻して帰ることができるよう尽くします。



Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 07:08│Comments(0)
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8月7日 宮崎からのボランティアが活躍中!
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