2011年07月15日

灼熱の石巻

この日は日赤の臨時診療所を紹介します。
石巻市立湊小学校で避難している方は震災当初の1400人から月日とともに少しずつ減少し、先月から仮設住宅への入居も進みいよいよ200人をきってきました。

そんな中、2階の家庭科室で数ヶ月間臨時診療所が運営されていて話を聞きました。
交代制で全国の病院から応援に駆けつけ、この日は福井大学病院からドクター2人と看護士2人ほか1人で診療にあたる。

灼熱の石巻
私たちが南三陸町や石巻市で取り組んで来たボランティアの内容を話すと、医療行為以外の話があまり聞けないらしく興味津々で耳を傾けてもらいました。

私事ですが、1年半まえの新型インフルエンザが猛威を震い国内では200名以上、私の住んでいる宮崎でも5名の方が命を落としました。
その際、私も新型インフルエンザから肺炎が悪化していき43度の熱がつづきました。

救急車で国立東病院に運ばれたものの数値が悪化して、3時間後に再び救急車で宮崎大学附属病院ICUに運ばれる。
そこから3週間意識不明でドクターが家族全員呼び年末に「直也さんはステロイドを投与しても反応無く数値が悪化の一途をたどっているので、あと数日の命でしょう。ご家族は覚悟してください」と告げられた。

灼熱の石巻

そこから奇跡的に生き返り今日に至るのですが、その宮崎大学病院から石巻市湊小学校へメッセージが届いていて、苦しかったリハビリの日々を思い出し、かろうじて生き返った私が、被災地で大学病院からのメッセージを一つひとつ読みながら、また涙がとまらない。


この日は灼熱の太陽が照りつけ、熱中症に気をつけるよう医療従事者にもほどこされる。
体育館で夕食のみそ汁を作っていた方達が熱中症対策で水を浴びていた。

灼熱の石巻
彼はパキスタンから来たアジス
前回来た時もいたので、結構長く張り付いている。

灼熱の石巻

そして先週誕生日だった、りょうさんも屋外シャワーを待ち受けていた。



Posted by 東日本大震災支援fromMiyazaki at 02:16│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
灼熱の石巻
    コメント(0)